なぜ昔のパテックフィリップはティファニーを経由して購入されていたの?
なぜティファニー経由?
・正規窓口だったから
1851年にパテックはティファニーと提携し、米国での公式リテール・パートナー(実質代理店)として販売と顧客対応を任せていました。19世紀末〜20世紀初頭、米国の富裕層はパテックの特注や購入をティファニーのサロン経由で行うのが定石でした。
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・ニューヨークの“地の利”と顧客接点
1905年開業のフィフス・アベニュー本店はNY上流社会のハブで、グレーブスを含む著名コレクターをパテックに繋いだ場と記録されています。
・超特注の“翻訳者”として
スーパーコンプリケーション級の注文は仕様伝達・設計変更・支払・輸入通関・長期アフターなど調整だらけ。ジュネーブ本社とNY顧客の間を、英語で即応できる代理窓口(ティファニー)が橋渡しする方が現実的でした(完成品にはグレーブス邸から見たNYの星図まで盛り込まれており、ローカル事情の反映にも向いていました)。
・グレーブスは“ティファニー経由の常連”だった
彼のコレクションには**ティファニー小売り(Tiffany & Co.に“売却”記録)**のパテックが複数確認されます。=普段からティファニーを通して発注していたと見るのが自然です。
※補足:1937年以降はヘンリ・スターン・ウォッチ・エージェンシー(HSWA)が米国総代理を担いますが、グレーブスのスーパーコンプリケーション(1925年発注→1933年納品)はその前の時代。ゆえにティファニーの役割が大きかったわけです。
まとめ
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必要だった理由は、流通体制(米国の正規窓口)×特注の実務負荷を引き受ける現地代理という二点です。
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グレーブス個人もティファニーの顧客で、発注〜受け取り〜アフターまで一気通貫にできたことが決め手でした。
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文献は「ティファニー“を通じて”発注」と明言しない場合もありますが、当時の契約・販売慣行と彼の購買記録からの合理的推論として、ティファニー経由が最も整合的です。