パテックフィリップの代表モデル【エリプス】の歴史
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「何世紀にもわたる美の法則から着想を得ることで、パテック フィリップのデザイナーたちは、常に直面している“ある課題”に、今回もまた見事に応えてみせました。
それが『ゴールデン・エリプス』です。
彼らはこのモデルにおいて、“美しく、そしてこれからもずっと美しいままであり続ける”スタイルを見出したのです。
(パテック フィリップ 広告より/1980年)
これは1980年に、パテックフィリップ社から出された、エリプスに対しての広告の文章です。
パテックフィリップのエリプスというモデルを知っていても、それがどのように誕生し、どのような歴史を辿って来たのか?それを知っている人は多くはないでしょう。
と言うわけで、本日はそんな知ってそうで知らなかった【エリプス】の詳細な歴史と魅力を解説して参ります。
エリプスの真髄【黄金比率】を読み解く
約2000年前、古代ギリシャの数学者ユークリッドは「黄金比」と呼ばれる、美しい比率の原理を発見しました。
このデザインの比率はあまりにも完璧だったため、ルネサンス期の数学者ルカ・パチョーリはそれを「神聖な比率(De Divina Proportione/デ・ディヴィナ・プロポルツィオーネ)」と名付けました。
その比率は「1:1.6181」。1本の線を不均等ながらも、調和のとれた長さに分けるための、理想的なポイントを示す数値、これが「1:1.6181」なんですね。
要するに、この比率でものを作れば一番美しいビジュアルになると言うことですね。
50年以上前、パテック フィリップはこの調和と美の原則を取り入れ、「ゴールデン・エリプス(Golden Ellipse)」を生み出しました。
このモデルは今もなお、パテック フィリップのコレクションの中で唯一無二の存在です。

パテック フィリップ・エリプスのアクセサリー──ジェットセット時代を象徴する究極のコレクション。今なお洗練された魅力を放つ。
“Jet Set era” は1960〜70年代に世界中を飛び回る富裕層のライフスタイルを指します。華やかで高級感のある時代の象徴として使われています。
エリプスは、モダンでありながらも永遠性/普遍性を感じさせるカルティエのタンクのような時計であり、そこにはケースメーカー、チェーンメーカー、金細工師、文字盤職人、ジュエラー、そしてもちろん時計師といった、あらゆる職人の技が集結して作られています。
2018年にエリプス誕生50周年を迎えた際、ティエリー・スターン社長は次のように語っています。
「エリプスは、“どうやってパテック フィリップの時計をつくるのか”を教えてくれるモデルのひとつです。
余計な演出はなく、純粋さと美しさがシンプルなデザインの中で表現されています。」
とですね。
「黄金比(Golden Section)」は、何世紀にもわたって知られてきた美の法則です。
この比率は、調和のとれた美しいスタイルを定義するものであり、人の手による芸術作品だけでなく、自然界にも数多く見られます。
たとえば、葉の形、枝に沿って等間隔に並ぶ芽、さらには人間の体の比率など、あらゆるところにその原理が存在しています。
古代ギリシャの神殿を建てた建築家たちも、中世の修道士たちが大聖堂を設計した際も、
この黄金比は門外不出の秘密として扱われていました。
師から弟子へと、厳重な信頼のもとでのみ伝えられた美の原則だったのです。
1968年 ゴールデン・エリプス

未来への確信
初期のパテック フィリップ・エリプス広告より
1968年 ゴールデン・エリプスの誕生
1960年代後半という激動の時代に、パテック フィリップの「ゴールデン・エリプス」は誕生しました。
当時、時計業界は大きな転換点を迎えつつありました。
クォーツショックにより、機械式時計の存在意義そのものが問われようとしていたのです。
パテック フィリップは、この変化の兆しをいち早く察知していました。

当時の社長であり、現社長ティエリー・スターン氏の祖父にあたるアンリ・スターン氏は、新時代にふさわしいまったく新しいデザインの時計を必要としていました。
それは、一目でパテック フィリップとわかるものであり、男女問わず魅力を感じられる時計でなければならなかったのです。
そして何よりも、真のラグジュアリーを体現し、他のどの時計とも異なる存在感を放つ必要がありました。
1960年代には、量産技術の進歩によって、安価な時計でも高級時計に似せた外観を簡単に作ることができるようになっていました。
こうした時代背景のなかで、パテック フィリップが目指したのは、見ただけで「これは本物だ」とわかる、真の美しさと品格を備えた時計だったのです。
そして1968年、ゴールデン・エリプスが登場しました。
その楕円形のケースは黄金比に基づいて設計されており、クラシックでありながら同時に未来を感じさせる、他にはない独自の美しさを放っていました。
発売と同時に、この時計は瞬く間に人々の心をつかみました。
先進的でありながら伝統的、シンプルでありながら高貴。
まさに“真のラグジュアリー”を体現する存在だったのです。
ゴールデン・エリプスは、変化の時代に生まれた象徴として、今もなおパテック フィリップの哲学を体現し続けています。
クォーツという新たな波が押し寄せようとしていた中で、同社は流行に流されることなく、時を超える美と価値を静かに提示したのです。

⇧パテック フィリップのエリプス Ref.3747は、手巻き式のRef.3746に対するクォーツ仕様のバリエーションとして登場しました。
特徴的な「オーバーサイズのライスグレインブレスレットは、ユニセックスでありながらクラシックな魅力を備えています。
ゴールデン・エリプスのデザインが、誰によって生み出されたのかについては、いまだに意見が分かれています。
一般的には、当時パテック フィリップの社内デザイナーであったジャン=ダニエル・ルベリ氏が、**黄金比(Golden Section)**に着想を得て、このアイコニックなデザインを生み出したとされています。
一方で、当時パテックの社内でケースメーカーとして働いていたジャン=ピエール・フラッティーニ氏は別の説を語っています。

彼によれば、当時の電子部門のディレクターであったジョルジュ・ドレセール氏が、飛行機の窓から見えたアメリカの高速道路のジャンクション(交差点)の美しい形にインスピレーションを受けて、このケースデザインを思いついたのだというのです。

パテックフィリップ エリプス ref. 3638、キャリバー23-300。
それが神聖な比率(黄金比)に着想を得たのか、それともアメリカの高速道路のジャンクションにインスピレーションを受けたのかは定かではありませんが、いずれにせよゴールデン・エリプスはパテック フィリップにとって非常に重要な意味を持つモデルでした。
なぜなら、それは同社にとって製造体制における大きな転換点を示す存在だったからです。
18世紀以来、多くの時計メーカーと同様に、パテックフィリップもケースメーカーが提案するデザインの中から採用する形をとってきました。
冒頭で説明した通り、腕時計ブランドは複数のケースメーカーからカタログを貰い、その中から自社で採用するケースを購入していたんですね。
つまり、ケースメーカーが主導する関係性が一般的だったのです。
よって、パテックフィリップ社も複数のケース製作メーカーのものを採用し、現存するエリプスは表面上は同じに見えますが、実は違う工房がケースの製作をしているのです。
しかし、ゴールデン・エリプスの誕生は、その慣例を覆しました。
当初は、複数の工房からのケースを採用していましたが、エリプスでは、その後アトリエ・レユニに製造を依頼するという方式が採用されたのです。
そしてこれは、やがてパテックフィリップが1976年にアトリエ・レユニを完全買収する流れにつながっていきます。
なお、アトリエ・レユニの建物は、現在ではパテック フィリップ・ミュージアムとして利用されています。
その後も、パテックは他の主要サプライヤーを次々に取り込み、**可能な限り多くの工程を自社内で行う「インハウス体制」**へとシフトしていきました。
ゴールデン・エリプスは、そうした未来のパテック フィリップを予感させる、象徴的な第一歩だったのです。

⇧完璧な錬金術:パテック・フィリップのブルーゴールド製エリプスリング
18kブルーゴールドの文字盤
それは、パテック フィリップにとって、まさに革新的な一歩でした。
誰も見たことがなかった18Kブルーゴールドの文字盤。
その美しさと存在感は、当時としてはまさに衝撃的なものでした。
ここまでの話とこれからの話で、事前に説明しておかないと意味が分からなくなってしまうので、簡単に解説します。
そもそもブルーゴールドというフレーズを誰も聞いたことがないと思われますが、パテックのブルーの文字盤は土台が18Kで作られ、その上のブルーもゴールドとコバルトの化学反応を用いて色を作っているそうです。
よって、これからの話は18Kブルーゴールドというのは、存在しないのではなくパテックが新しく生み出したものだというのを理解して視聴ください。
1960年代初頭、パテック フィリップは研究開発の一環として、“錬金術”にも似た試みに乗り出していました。
それは、金という素材そのものの性質を変えようという挑戦です。
様々な種類の金を使い、試行錯誤を重ねる中で、ついに生まれたのが「ブルーゴールド」でした。
このブルーゴールドを文字盤に用いるというアイデアの出どころについては、はっきりとは分かっていません。
しかし、当時社内にいたケースメーカーのジャン=ピエール・フラッティーニは、デザイナーのジャン=ダニエル・ルベリが、ジュネーブ在住の宝飾職人ルートヴィヒ・ミュラーと親交があったことを証言しています。
ミュラー氏は、当時ブルーゴールドを使ったジュエリーで有名な人物でした。
おそらく彼の作品が、この発想のインスピレーションの一部となったのかもしれません。
とはいえ、ブルーゴールドを「実際に時計の文字盤として使える素材」として仕上げることは、まったく別次元の困難でした。
最初の試みでは、電解浴(ガルバニックバス)という技術が使われ、18金の文字盤素材に電気メッキ処理が施されました。
しかしこの方法では色ムラが激しく、一部の文字盤には茶色がかってしまうものさえあったといいます。
そこで登場したのが、文字盤メーカー**シンガー社(Singer)**の協力でした。
シンガー社は、真空蒸着という新たな技術を導入し、コバルトと24金を同時に蒸発させ、それを18金の文字盤上に凝縮させるという画期的な方法を開発したのです。
ちょっと分かりにくいと思いますので、出来るだけ分かりやすく解説すると
コバルトと24Kを同時に蒸発させるときに、非常に薄い**ナノレベルの多層構造(金属薄膜)**が形成されます。
その薄膜が**光の反射と干渉**を引き起こし、結果として人間の目には「青く」見える!という仕組みらしいです。

ではこちらの画像をご覧ください。
11、13、19時の部分が分かりやすいのですが、ゴールドのモヤが出てきていますよね。
これはおそらく、薄いナノレベルの皮膜が経年によってスレた結果、このような状態になっているのだと考えられます。
では話を戻しまして、その革新性ゆえに、この製法はスイス政府の貴金属管理局からも正式な報告を求められ、製造過程の詳細な説明を提出する必要がありました。
製作は非常に難しく、手間もかかるものでしたが、その努力に値するだけの結果が得られましたし、それこそがパテック フィリップが追い求める美と革新の融合だったのです。

おかえりなさい: パテック・フィリップの光電気時計「エリプス」ref. 1505は究極のデスクアクセサリーでした。
1970年代のパテックフィリップ エリプスの広告戦略
1970年代、パテック フィリップの「エリプス」は“静かな美しさ”や“洗練の究極形"となりました。
このモデルの成功は、パテック フィリップの強力なマーケティング戦略にも支えられていました。
エリプスは、1960年代後半から1980年代初頭にかけて、同社の広告の中心モデルとして登場し続けることとなります。
エリプスのメッセージは、その形と同じくらいにシンプルでした。
第一に、この時計は美の概念そのものにまでさかのぼる「黄金比」に基づいた、古典的なデザインから生まれたものであること。
第二に、パテック フィリップの職人技を表現する**究極の“キャンバス”**としての存在であること。
そして第三に、エリプスを身につけることは、成功者の証であり、パテック フィリップのオーナーだけが入ることのできる“特別なクラブ”への参加を意味すること。
あまりにも自信に満ちたこのマーケティングは、ついに、エリプスは“The Non-Watch(時計ではない時計)”とまで称されたのです。

⇧「腕時計ではない。」エリプス広告の例
広告に記載してあるメッセージをこうです。
「パテック フィリップを選ぶのは、貴重な宝石を選ぶときと同じような感覚です。
それは、美しくて希少なものを所有するという純粋な喜びのため。
単に時間を知るだけが目的の方は、普通の時計を選ぶでしょう。
(パテック・フィリップのエリプス広告、1983年)。

パテックフィリップのエリプスキーホルダー、リング、タイクリップ。
これ以上のものがあるだろうか?
パテック フィリップは、市場の需要に応えるべく、エリプスや「ゴールデン・サークル」シリーズのバリエーションを次々と展開しました。

⬆️パテックフィリップ ゴールデンサークルRef.3844/2J
その背景には、クォーツウォッチが市場にあふれはじめる中で、それとは一線を画す“美と価値”を求める顧客層に応えたいという意図がありました。
このエリプスに対する安定した需要は、1970年代から1980年代初頭にかけての厳しい時代において、パテックフィリップが事業を維持するうえで、大きな支えとなったといわれています。
それは同時に、多くの時計職人やケースメーカー、ブレスレット職人たちの仕事を守ることにもつながりました。
パテック フィリップは、自社のこの洗練されたデザインの“持続的な価値”に絶対の自信を持っていました。
その象徴ともいえるのが、1980年のある広告です。
そこでは、メッシュブレスレット仕様のエリプスを**「1700ドルの信託財産(Trust Fund)」**とまで表現しています。
おそらく当時はこの価格で販売されていたのでしょう。

元祖マッドマン、セス・トビアスの見事なコピーによるパテック・フィリップ・エリプスの初期広告。
この時期はまさにパテック フィリップにとっての“黄金時代”であり、アメリカ市場は同社にとって世界最大の単一マーケットへと成長したのです。
中でも、エリプスを支えた多様で躍動感ある広告キャンペーンは、ブランドの成功を後押しする重要な役割を果たしました。
クラシックでありながら挑戦的なメッセージ性は、パテック フィリップの高級時計としての価値を際立たせ、他のブランドとの差別化にもつながったのです。

スタジオ54の準備:ディスコ時代のパテック・フィリップ、エリプスゾディアックペンダント
優れたデザインの証は、その**“適応力”にある**と言われます。
そして、パテック フィリップにとって初めて、ひとつのデザインをもとにファミリーやアクセサリー・コレクションを展開できるモデルが誕生しました。
それがエリプスです。
エリプスの腕時計に加えて、同じデザインを用いたカフリンクス、キーチェーン、ペーパーナイフ、置時計、タイクリップ、さらにはディスコ時代の星座モチーフのペンダントジュエリーまで、多彩なアイテムが展開されました。
このデザインがもたらした意義は、単に美しいコレクションを生んだことにとどまりません。
当時、クォーツ革命によって職を失いつつあった多くの熟練職人たちに、再び仕事の場を提供したという現実的な側面もありました。
エリプスのデザインは、まさに数百人に及ぶクラフトマンシップを活かす受け皿でもあったのです。

別の時代からの遺物:シックな喫煙者のための究極のアクセサリー。
金の塊から作られたエナメル加工のパテックフィリップライター。
もうひとつ、往時を偲ばせるアクセサリーがエリプスライターです。
ルイ・フィリップと呼ばれるコート・ド・ジュネーブ仕上げ、オーシャンと呼ばれる織り模様、そしてシェブロン仕上げであります。
その後、赤、青、緑のエナメル仕上げが登場しました。
各ライターとすべてのエリプス・アクセサリーは、時計と同じように細部にまでこだわり、卓越したクラフツマンシップで作られています。

ジェットセット・エレガンスのトリオ:1970年代のパテック・フィリップのゴールド・ライターの広告
エリプス・ファミリーとその近縁モデルによる参考文献の多様さと量は並大抵ではありません。
エリプスは、リファレンスの数とそのバリエーションにおいて、カラトラバを凌ぐほどです。
1970年代の終わりまでに、パテックはなんと65種類ものモデルを製造していたのであります。
この記事では、1968年から今日までに製造されたすべてのエリプス・コレクションを紹介することはできません。
その代わりに、私たちが最も気に入っているリファレンスや、コレクターが特に探したがっているものをいくつかご紹介します。

数ある中の1本目: パテックフィリップ ゴールデンエリプス ref. 3548 1968年発表
1968年、このコレクションはリファレンス3546と3548で始まり、1976年までカタログに掲載されました。
その後、キャリバー215を搭載したリファレンス3746と3748が発表されました。
超薄型のref. 3589は1970年に発表され、1979年までコレクションに掲載されました。
後にノーチラスref.3700に採用されるルクルト製ベースキャリバー28-255を採用した最初のコレクションです。

1971年から80年代初頭にかけて製造されたパテック・フィリップ エリプス ref. 3605はオリジナルの「ジャンボ」です。
ここに展示されている1977年製は、18Kイエローゴールドのハンドメイド・メッシュブレスレットです。
コレクターの間で特に人気が高いモデルのひとつが、Ref.3605、通称「ジャンボ・エリプス」です。
このモデルは1971年から1980年代初頭まで製造されました。
ムーブメントには、自動巻きキャリバー28-2555 C(Cは“Calendrier=カレンダー”の略)が搭載されており、日付表示機能を備えています。
ケースは二体構造で、サイズは38×33mm、厚さは6.5mmと、当時としてはかなり大ぶりなサイズ感でした。
文字盤はスターン・フレール(Stern Frères)、のちのスターン・クレアシオン(Stern Créations)によって製作され、ブルーゴールドやブラウンゴールドの文字盤製造に熟練していたシンガー(Singer)社の技術的支援も受けています。
素材は18Kイエローゴールドまたはホワイトゴールドで展開され、文字盤やブレスレット、ストラップのバリエーションも豊富に用意されていました。
中でも、ブルー文字盤×ストラップ仕様の組み合わせは、エリプスを象徴する“クラシックモデル”として、今なお高く評価されています。

すべてを備えた時計...パテック・フィリップの宝石をちりばめたエリプスウォッチは、ジェットセットのための絶対的なラグジュアリー・アクセサリーでした。
1970年代、パテック フィリップはジュエリーウォッチの展開を大きく拡大しました。
この分野は非常に利益性が高く、需要も急増していたためです。
なかでも、**バゲットダイヤモンドをセットしたRef.3610(1970年代初頭)**や、**Ref.3609(1974年)**は、装飾性の高い人気モデルの代表例といえます。
これらのモデルには、自動巻きキャリバー28-255が搭載されていました。
しかし、当時のトレンドとしてより薄型の時計が求められるようになっていく中で、より薄いキャリバー175や177が次第に多く使われるようになっていきました。
その流れの中で登場したのが、1976年に発表されたRef.3617とRef.3620です。
これらは手巻き式で、メッシュブレスレットとダイヤモンドをあしらった薄型ケースを採用し、まさに“ジェットセットの時代”と呼ばれる1970年代の華やかな雰囲気を象徴するモデルとして高い人気を集めました。

パテック・フィリップのエリプスref. 3738は40年にわたり製造され続けました。
このティファニー刻印ref. 3738/100は、イエローゴールドの文字盤にブレゲ数字、1985年頃製造。
パテック フィリップのエリプスの中でも、最も長期間にわたって製造されたモデルのひとつがRef.3738です。
このリファレンスは、1978年からおよそ2009年頃まで、約40年もの間にわたって生産されました。
その間、文字盤やブレスレットのバリエーションは非常に多岐にわたって展開され、エリプスの定番モデルとして多くの支持を集めてきました。
製造は主に4つのシリーズに分かれています:
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第1世代(1978年~1988年):キャリバー240を搭載
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第2世代(1984年~1999年):キャリバー240 31に変更
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第3世代(1999年~2005年):キャリバー240 111にアップデート
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第4世代(2005年以降):引き続きキャリバー240 111を採用
このように、Ref.3738はムーブメントの改良を重ねながらも、エリプスらしいエレガントな外観を保ち続けたロングセラーモデルです。

パテックフィリップ エリプス スケルトンウォッチの初期バージョン ref. フルラグに取り付けられた3880
時計製造における究極の表現とされるのが、スケルトンムーブメントです。
そして、それを美しく見せるキャンバスとして、これ以上ふさわしいものはない――それがエリプスのケースです。
とりわけ、彫金職人をはじめとする多くの職人の技を際立たせる舞台として、エリプスは理想的な存在でした。
1980年に発表されたRef.3880の初期モデルは、18mm幅の通常ストラップに対応するラグ一体型ケースを採用していました。
その後のモデルでは、Tバー型のラグに移行し、カットアウト式ストラップに対応する仕様となりました。
興味深い点として、1980年当時の販売価格は、Ref.3880が8,800ドル、同時期の永久カレンダー搭載モデルであるRef.2499が13,500ドルだったことが挙げられます。
これは、スケルトンモデルが極めて高度な技術と手間を要する特別なモデルであったことを物語っています。
このモデルは毎年ごくわずかしか製造されず、1990年代後半に生産終了となりました。
現在確認されているRef.3880の実物は30本未満しか存在せず、なかでも初期のフルラグ仕様に対応した個体はわずか2本しか確認されていません。
スケルトンウォッチに関する詳細な研究については、ぜひ「Collectability」に掲載されている特集記事もあわせてご覧ください。

パテック・フィリップref. 3604ゴールデンサークルは1971年に発表されました。
1981年に発表されたこのモデルは、人気の高い 「フェルメール 」ブラウンの文字盤が特徴です。
エリプス・ファミリーにおける興味深い展開のひとつが、「ゴールデン・サークル」シリーズです。
このシリーズは1971年にRef.3604として初登場し、1980年に製造終了となりました。
ゴールデン・サークルは、クッション型ケースを採用したヴィンテージモデルとしては最大サイズであり、その大きさはベータ21搭載のRef.3587/3597に次ぐ存在感を誇ります。
ケースは二体構造で、サイズは37mm × 37mm、厚さは7mm。
素材には18Kイエローゴールドまたはホワイトゴールドが用いられ、少なくとも4種類以上の異なるブレスレットバリエーションが存在していたことが確認されています。
また、1970年代の他のエリプス系モデルと同様に、ムーブメントには自動巻きキャリバー28-255 Cが搭載されています。
その個性的なフォルムと存在感により、ゴールデン・サークルは現在もコレクターの注目を集めるモデルのひとつとなっています。

ref. 3770
エリプスの「いとこ」とも言える、謎めいたモデルがRef.3770、通称「ノーチェリプス(Nautellipse)」です。
エリプスでもなく、ノーチラスでもないこの時計は、1980年に登場し、1990年代初頭まで製造されました。
当時、パテック フィリップは大ヒットしていたエリプスの人気をさらに広げるべく、エリプスのケースデザインを採用しつつ、本格的な防水性能を備えたスポーツウォッチを開発しようとしていました。
信じられないかもしれませんが、当時のノーチラスRef.3700は、あまり売れ行きが良くありませんでした。
サイズが大きく、価格も高額(約4000ドル)だったため、多くの消費者にとっては手が届きにくい存在だったのです。
Ref.3770は、ケースをより薄くするためにクォーツ式キャリバーE27を搭載し、文字盤には堂々と**「Quartz」**の文字が記されています。
現代では見過ごされがちですが、当時のクォーツムーブメントは精度と機能性の面で非常に画期的な存在でした。
ケースサイズは35mm × 39mmで、製造はノーチラスRef.3700と同じく、ラ・ショー=ド=フォンにあるFavre & Perret社が担当していました。
ノーチラスと同様、Ref.3770には複数のバリエーションが存在し、ストラップ仕様もありましたが、大半はブレスレット仕様で、文字盤の種類も非常に多彩でした。
現在では、このRef.3770は**「ジョン・スノウ」**の愛称でも知られ、“正体不明の存在”として評価が定まっていないものの、今後注目が集まるであろう隠れた名作とされています。
ノーチェリプスについてさらに詳しく知りたい方は、ぜひ「Collectability」に掲載されている特集記事をご覧ください。

現代の「ジャンボ」エリプスはref. 5738. プラチナ製のref. 5738には、ティファニー・アンド・カンパニー(Tiffany & Co.)
現在、パテック フィリップのコレクションの中で唯一生産されているエリプスモデルは、
“ジャンボ”の愛称で知られるRef.5738です。
このモデルは、エリプス誕生40周年を記念して2008年に登場しました。
発表当初はプラチナケースに、クラシックなブルーゴールドの文字盤を組み合わせた仕様でした。
さらに50周年を迎えた2018年には、18Kローズゴールド製ケースにブラック・サンバーストダイヤルを備えたバージョンが追加されました。
また、同年には特別な「レア・ハンドクラフツ」モデルとして、Ref.5738/50Pも発表されています。
このモデルは、白金製の文字盤に“ヴォリュート(渦巻)模様の彫金”を施し、その上に黒い七宝焼き(エナメル)を重ねた逸品で、限定100セットのボックス仕様で発表され、同デザインのカフリンクスが付属していました。
なお、Ref.5738の全バリエーションには、自動巻きキャリバー240が搭載されています。

新しい外観:このパテック・フィリップのエリプスref. 3848は、チューリッヒの高級ジュエラー、レト・ケプラー&ハンス・カーンがこの気まぐれなブレスレットを作るまで、元々はストラップでした。
エリプスはもはやパテックの生産量の大半を占めてはいないが、パテックのアイデンティティにとって重要なモデルです。
ティエリー・スターンが言ったように、「祖父の精神を受け継いでいるようなものだから」。
私たちもそう思います。
写真クレジット:Collectability