コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

記事: 「ロイヤルオーク、ノーチラス、オーバーシーズ以前の雲上ブランド」の価値はどこにあったのか?

「ロイヤルオーク、ノーチラス、オーバーシーズ以前の雲上ブランド」の価値はどこにあったのか?

こんにちは、ベルモントルの妹尾です😊

本日の動画では、「ロイヤルオーク、ノーチラス、オーバーシーズ以前の雲上ブランド」の価値はどこにあったのか?という内容で解説して参ります。

現代の高級腕時計界を語るとき、必ず名前が挙がるのが「ロイヤルオーク」「ノーチラス」「オーバーシーズ」という3つのモデルです。

これらは現在、パテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン コンスタンタンであり、いわゆる“雲上御三家”の象徴的存在として広く知られています。

しかし、1970年代にこれらが登場する以前、御三家が生み出していた時計は、まったく違う価値観に基づいて作られていました。

当時の主流は、ゴールドケース、薄型ムーブメント、そして極限まで洗練された装飾を備えた芸術的なドレスウォッチでした。

今回の動画では、ロイヤルオーク、ノーチラス、オーバーシーズ誕生以前の“知られざる御三家の黄金時代”に焦点を当て、その魅力と価値を深く掘り下げていきます。

 

 

1970年代前、御三家の立ち位置とは?

1970年代以前、パテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン コンスタンタン──いわゆる“雲上御三家”は、現在のスポーツラグジュアリーのイメージとはまったく異なるポジションにいました。

現代では「ロイヤルオーク」「ノーチラス」「オーバーシーズ」といったステンレス製のラグジュアリースポーツウォッチが御三家の象徴とされていますが、それ以前の彼らが追求していたのは、むしろ“伝統的なエレガンス”と“職人技”の極致でした。

当時の御三家は、18Kイエローゴールドやホワイトゴールドを用いた薄型のドレスウォッチを主軸に展開し、複雑機構を搭載した芸術的な時計づくりで高い評価を得ていました。

例えば、パテック フィリップは1930年代からカラトラバなどのドレスラインを確立し、シンプルな中に緻密な美しさを宿すデザインで知られます。

オーデマ ピゲは超薄型ムーブメントと高度な複雑機構に特化し、ミニッツリピーターや永久カレンダーなど、当時としては革新的な時計を次々に発表しました。

そしてヴァシュロン コンスタンタンは、創業1755年から一度も途切れることなく続く歴史の中で、ケース装飾や文字盤の彫金技法など“美術工芸的な時計”に強みを持っていたのです。

重要なのは、この時代の御三家は「数ではなく質」で勝負していたという点です。

現在のように大規模な市場を狙ったモデル展開ではなく、極めて限られた顧客のために少量生産される時計が中心でした。

そのため、職人による手仕上げや複雑な装飾が時計1本ごとに異なり、“唯一無二”の存在としてコレクターたちを惹きつけていたのです。

つまり、1970年代以前の御三家は、今日のような「投資対象としてのブランド」というより、“伝統・技術・芸術性”の象徴でした。

この時代の時計を理解することで、ロイヤルオークやノーチラス、オーバーシーズといった現代のアイコンモデルが、いかに大きな転換点であったかが見えてきます。

 

ノーチラス以前のパテック フィリップ

現在ではスポーツラグジュアリーの象徴として知られる「ノーチラス」ですが、その登場は1976年に遡ります。

それ以前のパテック フィリップは、まったく異なる立ち位置で高級時計界をリードしていました。

ロイヤルオーク以前のオーデマ ピゲと同様に、パテック フィリップも“ドレスウォッチの最高峰”として君臨していたのです。

パテック フィリップは1839年創業。創業当初から大量生産とは一線を画し、徹底した少量生産と妥協のない品質基準で知られてきました。

特に1950〜1970年代にかけては、ラウンドケースを中心としたクラシカルなドレスウォッチや複雑機構モデルで、唯一無二の地位を確立しています。

たとえば、1932年に誕生した「カラトラバ」シリーズは“ドレスウォッチの完成形”と称され、今なおパテック フィリップを象徴するコレクションです。

無駄を削ぎ落としたシンプルで端正なデザインは、時代を超えて高い評価を受け続けています。

さらに、パテック フィリップは複雑機構の分野でも圧倒的な存在感を示してきました。

1925年には世界初の腕時計用永久カレンダーを発表し、その後もミニッツリピーターやクロノグラフなど、卓越した技術を駆使したモデルを数多く開発。

ノーチラス登場以前から、すでに“複雑時計の頂点”として世界中の時計愛好家から敬意を集めていました。

また、18Kゴールドを中心としたケース構成も、この時代のパテック フィリップの大きな特徴です。

アールデコ調の優雅なモデルから、ラグの曲線美を際立たせたクラシックデザインまで、非常に幅広いバリエーションを展開。

現在でもヴィンテージ市場では、これらのゴールドドレスウォッチの希少性と完成度の高さが再評価されており、静かな人気を集めています。

つまり、ノーチラス以前のパテック フィリップは、現在のスポーツラグジュアリーなイメージとは対照的に、“伝統的な高級時計の象徴”でした。
緻密な職人技と極めて少量の生産体制、そしてタイムレスなデザイン性が組み合わさり、他のブランドが到達できない「本物の価値」を作り上げていたのです。

ノーチラス以降の成功だけでなく、この時代を理解することで、パテック フィリップというブランドの奥深さがさらに見えてきます。

 

 

ロイヤルオーク以前のオーデマ ピゲ

1972年、ジェラルド・ジェンタが手がけた「ロイヤルオーク」の登場によって、オーデマ ピゲは一躍“ラグジュアリースポーツウォッチ”の先駆者となりました。ですが、それ以前のオーデマ ピゲはまったく異なる方向性で存在感を放っていました。ロイヤルオーク以前のオーデマ ピゲを語るうえで欠かせないキーワードは、“超薄型技術”と“複雑機構”、そして“デザインの多様性”です。

1875年、ジュール=ルイ・オーデマとエドワール=オーギュスト・ピゲによって創業されたオーデマ ピゲは、創業当初から大量生産ではなく、高度な技術力を武器にした少量生産を徹底してきました。特に20世紀初頭から1960年代にかけては、18Kゴールドを中心としたエレガントなドレスウォッチが主力で、複雑機構や薄型ムーブメントの分野で他ブランドを圧倒していました。

たとえば、1892年には世界初のミニッツリピーター搭載腕時計用ムーブメントを開発。さらに1946年には厚さわずか1.64mmという、当時として世界最薄クラスの超薄型ムーブメントを発表しています。この技術力は、後のロイヤルオークや現代のコンプリケーションモデルの基盤となりました。

デザイン面でも、オーデマ ピゲはロイヤルオーク以前に非常に豊かなバリエーションを展開していました。アールデコ調の美しいラグライン、楕円形の「エリプス」、エビの鱗を思わせる柔らかなブレスレットを備えたモデルなど、職人の手仕事を生かしたゴールドモデルが数多く存在します。ブレスレットとケースを一体化させた芸術的なデザインは、今見ても新鮮で、現代の高級時計デザインに影響を与え続けています。

つまり、ロイヤルオーク以前のオーデマ ピゲは「スポーツラグジュアリーの旗手」ではなく、「伝統的なドレスウォッチの最高峰」として評価されていたのです。この時代のモデルは、生産数が極端に少なく、細部まで職人技が込められているため、現代ではむしろコレクターズアイテムとして高い価値を持っています。ロイヤルオークの影に隠れがちなこの黄金期を知ることは、オーデマ ピゲというブランドの本質を理解する上で欠かせません。

 

オーバーシーズ以前のヴァシュロン・コンスタンタン

ヴァシュロン・コンスタンタンは、1755年にスイス・ジュネーブで創業した、現存する世界最古の時計メーカーです。
オーバーシーズが登場する1996年以前、ヴァシュロンは“クラシックウォッチの最高峰”として独自の地位を築いていました。
この時代のヴァシュロンを語る上で重要なのは、265年以上にわたる歴史と、一度も途切れたことのない継続性です。
この「長く続く歴史」そのものが、ブランドの核となっているのです。

1970年代以前のヴァシュロンは、パテック フィリップやオーデマ ピゲと並び、“雲上ブランド”と呼ばれる象徴的な存在でした。
特徴は、精緻な手仕上げと美術工芸品のような美しさ。
例えば、ケースやラグの仕上げには職人技が惜しみなく注ぎ込まれ、文字盤のギヨシェ装飾や針のバランスに至るまで、芸術性を追求したデザインが数多く生み出されました。
18Kゴールドを中心としたドレスウォッチは、まさにラグジュアリーの象徴であり、富裕層のステータスシンボルとなっていました。

また、ヴァシュロンは複雑機構の分野でも高い評価を得ていました。
永久カレンダー、ミニッツリピーター、クロノグラフなど、限られた職人だけが手がける精密なモデルを少量生産し、その価値を高めてきたのです。
この「少量生産による希少性」が、現在の高い市場評価につながっています。

さらに1977年、創業222周年を記念して発表されたモデル「222」は、後にオーバーシーズへと受け継がれる系譜の原点です。
薄型のケースと高い防水性能を兼ね備えたこのモデルは、スポーツウォッチへの第一歩ともいえる存在であり、現在のヴァシュロンのスポーツラグジュアリー路線の礎となりました。

オーバーシーズ登場以前のヴァシュロンは、派手さよりも「静かな威厳」を重視したブランドでした。
市場での熱狂度や投機的な価格上昇は、パテックやオーデマ ピゲに比べるとやや控えめですが、むしろそれが“知る人ぞ知るブランド”として愛され続けてきた理由のひとつです。

つまり、オーバーシーズ以前のヴァシュロン・コンスタンタンは、卓越した職人技、クラシカルな美意識、そして長い歴史の積み重ねによって築き上げられた、まさに“伝統の頂点”といえる存在だったのです。

 

 

現代の御三家との決定的な違い

1970年代以前のパテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンと、現代の御三家とでは、その立ち位置や価値の生まれ方に大きな違いがあります。
当時はまだ「ブランド戦略」よりも「時計そのものの完成度」が価値の中心にありました。つまり、希少な職人技、クラシカルなデザイン、そしてごく少量しか生産されないことによる自然な希少性が、御三家を“雲上”たらしめていたのです。

一方、現代では事情が大きく変わっています。
1972年のロイヤルオーク誕生を皮切りに、パテックのノーチラス(1976年)、ヴァシュロンのオーバーシーズ(1996年)と、御三家はスポーツラグジュアリーの方向へ舵を切りました。
この戦略は成功し、現在の御三家はクラシックウォッチだけでなく、アイコンモデルによって幅広い層へブランド価値を強く訴求しています。結果として、需要は世界的に爆発的に増加し、今や二次市場では定価の数倍で取引されるモデルも珍しくありません。

しかし、ここで重要なのは、現代の御三家の価値は「供給を絞った上での戦略的な希少性」に大きく依存しているという点です。
一方で1970年代以前は、特にゴールドのドレスウォッチや薄型モデルなど、現代では見られない多様で芸術的な時計が数多く生産されており、それらは結果的に市場では控えめな価格で取引されています。

つまり、現代の御三家が「アイコンモデルを中心に世界的な需要を操作するブランド戦略」で高騰しているのに対し、ヴィンテージモデルは「本質的な時計作りの価値」を評価する通好みの市場です。
ロイヤルオークやノーチラスと同等、あるいはそれ以上の職人技を持ちながら、価格は圧倒的に抑えられているものも多く、これは知る人にとって大きなチャンスといえます。

次は、こうした視点から「ロイヤルオーク・ノーチラス・オーバーシーズ以前の御三家モデル」に注目する価値について深堀りしていきますが、先におすすめのアプローチをお伝えしてもいいですか?
「ヴィンテージ御三家×現代アイコンモデル比較」で、さらに視聴者の興味を引き込む構成を作ると効果的です。

 

 

今回は、「ロイヤルオーク・ノーチラス・オーバーシーズ以前の御三家」に焦点を当て、1970年代以前のパテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンの立ち位置を解説しました。
当時の御三家は、現代のアイコンモデル人気とは違い、職人技・多様なデザイン・希少性といった“本質的な価値”で評価されていました。
現代ではロイヤルオークやノーチラスが注目されがちですが、ヴィンテージモデルには今だからこそ見直すべき魅力があります。
時計の歴史と哲学を知ることで、現代市場では見えにくい価値を発見できるはずです。

 

 

 

 

その他の記事

世界3大腕時計と雲上5大腕時計ブランド 【パテックフィリップ/オーデマ・ピゲ/ヴァシュロン・コンスタンタン】&【A.ランゲ&ゾーネ/ブレゲ】この違いはどこから来るのか?のショート原稿

世界3大腕時計と雲上5大ブランド この違いはどこにあるのか?   世界には数多くの高級腕時計ブランドがありますが、その中でも“別格”とされる存在が「雲上ブランド」と呼ばれるグループです。 しかし、雲上ブランドとされる基準は公式に決まっているわけではなく、長い歴史の中で評価や実績が積み重なり、自然と形成されたものです。 一般的に「世界三大時計ブランド」とされるのは、パテック・フィリップ、オーデ...

もっと見る

パテックフィリップRef.3987と3989のリファレンスとケースの違い考察

1. Ref.3989とRef.3987のケースサプライヤーの違い Ref.3989 → Favre & Perret(ファーブル・ペレ)製、ハンマーヘッド115 Ref.3987 → Atelier Réunis(アトリエ・レユニ)製、ジュネーブキー28 両方とも1980年代後半から1990年代にかけて製造されたEllipseの派生モデルで、ケース形状・サイズ・ラグデザ...

もっと見る