ロレックスはいつから高級腕時計のイメージになった?最強の広告戦略
こんにちは、ベルモントルの妹尾です。
本日は「ロレックスはいつから高級腕時計のイメージになった?最強の広告戦略」という内容でお話しして参ります。
ロレックスと言えば、"成功者が着ける腕時計"というイメージを、多くの方がお持ちだと思うんですよね。
このイメージ、実はある日突然できたものではありません。
100年近くという、非常に長い時間をかけて、少しずつ積み上げられてきたものなんです。
本日は、いつ、どのようにしてロレックスが、あのイメージを作り上げてきたのか?その歴史を紐解いていきます。
腕時計を選ぶとき、多くの場合、ブランドのロゴや、いくらで買えるかというところから入ります。
ただ、値段やブランド名だけでは、その一本に本当に納得できるかどうかは、決まらないんですよね。
腕時計の世界はみんなの正解が自分には当てはまらないことがほとんどです。
その一本が持つ背景まで見えてきたときに、初めて『これだ』と思える自分の一本に出会えるんです。
弊社では、そうした背景や佇まいも含めて腕時計を選びたい方に向けて、公式LINEで一般公開前の新着商品や入荷予定品をご案内しています。
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それでは話を進めて参ります。
すべての始まりは1927年、ドーバー海峡を泳いだ女性選手だった
ロレックスの創業者、ハンス・ウィルスドルフは、1905年、ロンドンで「ウィルスドルフ・アンド・デイヴィス」という会社を設立しました。
これが、後のロレックスの前身です。
1919年、ウィルスドルフは拠点をロンドンからジュネーブへと移します。
高級時計製造の本場であるスイスに拠点を構えることで、時計作りの正統性を高めようとした判断だったんですよね。
そして時は1926年に遡ります。
ロレックスは、水と埃を防ぐ密閉ケース「オイスター」を発表しました。
この技術の核心にあったのが、ねじ込み式のリューズと裏蓋という仕組みです。
リューズと裏蓋を、ケース本体にしっかりとねじ込むことで、まるで牡蠣の殻のように、内部を完全に密閉する。
これが「オイスター」という名前の由来にもなっているんですよね。
これは、腕時計の世界に初めて本格的な防水性能をもたらした、画期的な技術だったんです。
ただ、当時の消費者にとって、「本当に水に強いのか」という疑いを晴らすことこそが、最大の課題だったんですよね。
そこでウィルスドルフは、非常に大胆な仕掛けを打ちます。
1927年、イギリス人水泳選手メルセデス・グレイツェが、ドーバー海峡を泳いで横断するという挑戦に臨みました。
ウィルスドルフは、このグレイツェに、ネックレスとしてロレックスのオイスターを身につけてもらうよう手配したんですよね。
長時間、冷たい海水に浸かり続けるこの挑戦の間、腕時計は正常に動き続けました。
この結果を、ロレックスは見逃しませんでした。
挑戦の直後、イギリスの新聞デイリー・メールに、丸々1ページを使った広告を掲載し、オイスターが海水に打ち勝ったことを、高らかに宣言したんです。
さらに、ロレックスの正規販売店のショーウィンドウには、金魚や水草と一緒に、オイスターを水槽の底に沈めて時を刻ませるという、非常に印象的な展示も行われました。
説明するのではなく、見せることで納得させる。
これは、今で言う"見せる広告"、いわゆる体験型マーケティングの、非常に早い時期の実例なんですよね。
この後、ロレックスは、映画という新しい舞台でも、同じような形で存在感を示していきます。
1962年、007シリーズの第一作『ドクター・ノオ』が公開されました。
ショーン・コネリー演じるジェームズ・ボンドが、劇中でロレックス サブマリーナーを着用していたんですよね。
以降、複数の007作品において、ボンドの腕元にはロレックスが描かれ続けました。
洗練されたスパイという、憧れの存在の腕元に、当たり前のようにロレックスがある。
この積み重ねもまた、「性能を物語として伝える」という、1927年から続く戦略の延長線上にあったんです。
つまりロレックスは、1927年から1960年代にかけて、「製品の性能を、誰もが納得できる"物語"として伝える」という、後々まで続く広告戦略の原型を、すでに確立していたんですよね。
これは、後のクオーツショック期に確立される戦略の、およそ半世紀近く前から積み重ねられてきた土台だったということが、非常に重要なポイントなんです。
次の見出しでは、この"物語で語る"という手法が、クオーツショックという危機の中で、どのように発展していったのかを見ていきます。
クオーツショックの中で、ロレックスは広告の中身を変えた
1970年代にクオーツショックが起きたことで、スイスの腕時計産業の8割が壊滅的なダメージを受けて、ほとんどが倒産、もしくは規模縮小に陥りました。
そんな、クオーツショック真っ只中で、ロレックスが広告の中身をどう変えていったのかを見ていきます。
この頃ロレックスが力を入れていったのが、映画界という、もう一つの舞台との結びつきなんですよね。
その代表例が、俳優ポール・ニューマンです。
ニューマンは、1969年から1984年にかけて、私生活で一本のロレックス コスモグラフ デイトナを、長年愛用し続けていました。
これは、ブランド側が用意した契約に基づく着用ではなく、ニューマン自身が個人的に選び、身につけ続けていたものだったんですよね。
この事実こそが、非常に重要なポイントです。
企業が広告のためにお金を払って着けてもらうのではなく、本人が本気で気に入って、日常的に使い続けているという事実そのものが、何よりも強い説得力を持つんです。
このニューマンが愛用していたデイトナは、後に「ポール・ニューマン・デイトナ」という愛称で呼ばれるようになり、現在ではオークションで数億円規模の値がつくほどの、伝説的な一本になっているのは周知の事実ですよね。
同じ時期、映画の世界そのものにも、ロレックスは繰り返し登場するようになります。
さらに、スティーブ・マックイーンやロバート・レッドフォードといった、1960年代から70年代のハリウッドを代表する俳優たちも、私生活でロレックスを愛用していたことで知られています。
ここで、大切なポイントをお伝えします。
ロレックスがこの時期に行った戦略は、単に「有名な俳優に着けてもらう」という、表面的なタイアップだけではありませんでした。
タフで、成功していて、独自の哲学を持つ男たちの腕元に、自然な形でロレックスが存在し続けたことで、「精度が良い」「正確だ」というスペックの話ではなく、「一流の男が、自ら選ぶ時計」という、物語としてのイメージが、じっくりと作り上げられていったんです。
これは、クオーツ式が持つ「安くて正確」という土俵とは、全く違う場所で戦うという、明確な意思表示でもあったんですよね。
では次の見出しでは、この物語作りと並行して、ロレックスが価格と流通の面でも、どのような判断を下していたのかを見ていきます。
小売価格を下げず、正規代理店網も守り抜いた
それでは、この物語作りと並行して、ロレックスが価格と流通の面で、どのような判断を下していたのかを見ていきます。
クオーツショックの最中、多くのスイスの時計メーカーは、日本製クオーツ時計との価格競争に巻き込まれていきました。
安さで対抗しようとすればするほど、機械式腕時計という存在そのものの価値が、どんどん目減りしていくという、悪循環に陥っていったんですよね。
こうした状況の中、ロレックスが取った判断は、非常に明確でした。
値下げ競争には、参加しない。
これが、ロレックスの基本方針だったんです。
ちなみに弊社も安売り合戦には参加しないのですが、そのことについてはこちらの「なんでベルモントルは楽天/ヤフー/メルカリなどのプラットフォームで腕時計を販売しないの?」の中で詳しく解説しておりますので、気になる方はご覧ください⬇️
話を戻しまして、安売りに走れば、一時的には売上を確保できたかもしれません。
ですが、それは同時に「ロレックスは、値段を下げてでも売らなければならないブランドだ」という、望ましくないメッセージを、市場に送ることにもなりかねなかったんですよね。
だからこそロレックスは、価格を維持し続けるという、一見すると勇気のいる判断を貫いたんですよ。
この判断を支えていたのが、1950年代から築き上げてきた、正規代理店網という仕組みでした。
ロレックスは、実は自社の直営店をほとんど持たないブランドです。
世界中のロレックス販売店の大部分は、地元の宝飾店や時計専門店といった、独立した企業によって運営されてきました。
そしてロレックスは、この独立した企業たちに対して、「値引き販売をしないこと」「正規のルート以外で転売しないこと」という、厳格なルールを課していたんですよね。
クオーツショックという、業界全体が疲弊し、目先の売上を優先したくなるような危機的状況の中でも、ロレックスはこの流通管理の手綱を、決して緩めませんでした。
もし、この時に流通管理が崩れていたら、どうなっていたでしょうか。
正規店同士が値引き合戦を始め、市場に安売りされたロレックスが溢れ、ブランドとしての一貫性は、瞬く間に失われていたはずです。
ここで、大切なポイントを整理します。
ロレックスがクオーツショックの中で貫いた行動原則は、一貫して「時計を売る」ことよりも、「ブランドという資産を守る」ことを優先する、というものだったんですよね。
物語で憧れを作り、価格を維持し、流通を管理する。
この3つが、バラバラの施策ではなく、一つの明確な意思のもとに、統一的に実行されていたんです。
では、次の見出しでは、こうしたすべての取り組みが積み重なった結果、ロレックスが、いつ、どのようにして"高級腕時計"というイメージを確立するに至ったのか、これまでの内容を踏まえて総括していきます。
ロレックスはいつから高級腕時計のイメージになったのか?
それでは、ここまでの内容を踏まえて、ロレックスが、いつ、どのようにして"高級腕時計"というイメージを確立するに至ったのか、総括していきます。
結論から申し上げると、この問いに対する答えは、「特定の1年」ではありません。
ただ、あえて一つの起点を挙げるとすれば、それは1927年、ドーバー海峡を渡ったメルセデス・グレイツェの物語なんですよね。
この出来事で、「性能を物語として伝える」という、ロレックスの広告戦略の原型が生まれました。
とはいえ、この時点ではまだ、ロレックスという存在は、"優れた技術を持つ時計メーカーの一つ"という位置づけに近かったはずです。
今のような、"成功の象徴"としての揺るぎないイメージが確立されるまでには、まだ時間が必要だったんですよね。
そして、このイメージ作りが、特に大きく加速したのが、1970年代のクオーツショックという危機の時期だったんだと思います。
なぜ、この危機の時期に、これほどまでにイメージ作りが加速したのかって話ですが、一つには、前述した通り企業が残るか消えるかの危機的状況だからこそ、「このままでは生き残れない」という強い危機感が、経営陣の判断を、これまで以上に大胆にさせたという側面があります。
ポール・ニューマンをはじめとするハリウッド俳優たちとの結びつき、そして値下げをせず、流通管理も緩めないという、複数の判断が、この時期に一気に重なり合いました。
つまり1927年やジェームズ・ボンドの出来事は、あくまで"種"を蒔いた段階でして、その種が、大きく花開いたのは、クオーツショックという逆境の中でだったんですよね。
危機というのは、時に、それまで漠然としていた方向性を、一気に明確にする力を持っているんです。
「機能では、もうクオーツに勝てない」という、逃げ場のない状況に追い込まれたからこそ、ロレックスは、機能とは全く違う土俵で戦うという決断を、迷いなく下せたのではないかなぁと考えております。
もし、この危機がなかったとしたら、ロレックスは、もう少し長く、機能競争の中に留まっていたかもしれません。
そう考えると、クオーツショックという危機は、ロレックスにとって、単なる試練ではなく、むしろブランドとしての立ち位置を、決定的に確立させる、またとない転換点だったと言えるんですよね。
これは、以前の動画でお伝えした、2025年のスイス腕時計ブランド売上高ランキングにも、直結する話です。
ロレックスが、2位のカルティエに3倍以上の差をつける、圧倒的な1位という結果は、決して偶然ではありません。
「いつから高級腕時計のイメージになったのか」という問いへの、私なりの答えは、こうです。
始まりは1927年、ただし、そのイメージが決定的なものになったのは、クオーツショックという危機を乗り越えた1970年代から80年代にかけてだった、ということなんです。
ベルモントルの視点
ここまで、ロレックスがどのようにして"高級腕時計"というイメージを築き上げてきたのか、1927年から100年近くにわたる歩みをお伝えしてきました。
この歴史から、私自身、改めて考えさせられることがあります。
ブランドの価値というのは、一夜にして作られるものではなく、長い年月をかけた、一貫した判断の積み重ねによって、少しずつ形作られていくものなんですよね。
物語を語り、価格を守り、流通を管理する。
一つひとつは地味な取り組みでも、それをブレることなく続けてきたからこそ、今のロレックスという存在があるんです。
ベルモントルも、規模は全く違いますが、同じ姿勢を大切にしたいと考えています。
短期的な数字を追いかけるのではなく、一本一本の腕時計が持つ背景や物語を、時間をかけて丁寧にお伝えし続けること。
これこそが、長く選ばれ続けるお店であるための、変わらない軸だと考えているんですよね。
100年という時間をかけて築かれたロレックスの歴史から、私たちも多くのことを学びながら、これからも誠実に腕時計と向き合ってまいります。