ブレゲの現代史:4つのオーナー遷移とブランド再生の軌跡
こんにちは、ベルモントルの妹尾です☺️
本日の動画では、ブレゲの現代史:4つのオーナー遷移とブランド再生の軌跡という内容で解説して参ります。
ブレゲ(Breguet)は、アブラアン=ルイ・ブレゲの名を冠する伝説的時計ブランドとして、18世紀末の誕生以来、世界の時計史にその名を刻んできました。
しかし20世紀後半以降、ブレゲは複数のオーナーによってその所有権を移しており、ブランドのアイデンティティや製造拠点もその度に大きく変化しています。
この記事では、ブレゲがたどった現代における4つの重要なオーナー遷移と、それぞれの時代背景について詳しく解説します。
ブレゲの最初の頃の歴史ではなく、物語は1970年代からの話であることを理解し、ご視聴くださいませ。
■ 第1期:ショーメ期(1970年 – 1987年)
1970年、パリの老舗高級宝飾メゾン「ショーメ(Chaumet)」が、長らく低迷していたブレゲを買収します。
当時のブレゲは名ばかりのブランドとして認識されており、製品開発や製造の拠点も明確ではない状態でした。
この荒廃したブランドに着目したショーメは、「真のブレゲ復活」を目指し、大胆な再構築に乗り出します。
ショーメはまず、製造拠点をスイスの時計産業の中心地であるヴァレー・ド・ジュー(Vallée de Joux)に設置します。
ここで少数精鋭の時計職人たちが集められ、手作業による複雑機構の製造がスタートします。
特に、この時期にはトゥールビヨンや永久カレンダー、スプリットセコンドなど、当時のブレゲの名にふさわしい高度な複雑時計が再び登場し始めました。
このブレゲ復活を語る上で欠かせないのが、若き時計師ダニエル・ロート(Daniel Roth)の存在です。

ロートは1980年にショーメの指示でブレゲに参加し、ブレゲ独自の伝統的技法である、ギョーシェ装飾、ブレゲ針、コインエッジケース、オフセンター文字盤などを継承しながらも、現代的な機構設計や設計思想を融合させます。
この方は、今日の「モダン・ブレゲ様式」の礎を築いた立役者とされています。
一方で、ショーメの経営は時計部門以外の要因で次第に危機を迎えます。
1987年、当時ショーメが手掛けていたダイヤモンド投資スキームが詐欺であることが発覚します。
創業家の兄弟が逮捕・有罪判決を受けるに至り、ショーメは経営破綻に追い込まれます。
この騒動により、ショーメ傘下のブレゲも売却の必要に迫られたのでした。
よって、このダイヤモンド投資のスキームが詐欺ではなかったのであれば、もしかするとブレゲもLVMHに入ってた可能性があるってことですね。
話を戻しましてこのように、ショーメ期はブレゲにとって「再始動」の時代でした。
ショーメブランドに傷は残りましたが、全く関係のないブレゲは、高度な技術力と芸術性の復活、製造体制の確立、ブランドイメージの再構築と、後の再成長の土台が着実に築かれた重要な17年間だったと言えるでしょう。
■ 第2期:インベストコープ期(1987年 – 1999年)
1987年、ショーメが経営破綻したことで、バーレーンを拠点とする中東系の投資会社「インベストコープ(Investcorp)」がブレゲを買収しました。
この買収は、当時のラグジュアリーブランド業界においても異色の事例とされ、時計業界に新たな資本の流れをもたらした象徴的な出来事でもありました。
インベストコープはまず、ブランドの信頼性と供給体制の強化に取り組みます。
その一環として、1991年にはブレゲにムーブメントを供給していたスイス・ル・サンティエの名門ムーブメントメーカー「ヌーヴェル・レマニア(Nouvelle Lémania)」を買収。これにより、製造拠点と技術基盤を垂直統合し、“Groupe Horloger Breguet(ブレゲ時計グループ)” という企業グループ体制が形成されました。
このインベストコープ期には、商業的な成功も大きく進展します。1987年当時は年間数百本の販売にとどまっていたブレゲの時計は、インベストコープの積極的な投資とマーケティングによって、1990年代後半には年間数千本単位での生産・販売に拡大。特に複雑機構モデルやクラシカルなトラディションシリーズなどが、富裕層の間で高い評価を受けます。
また、ブランドのビジュアルアイデンティティの統一にも注力され、クラシックなブレゲ針、ギヨシェ彫り、オフセンター文字盤といった要素を継承しつつ、ケースデザインや文字盤の質感、全体の仕上がりが格段に洗練されました。
この時期、経営の透明性と業績管理も高水準で保たれており、ブレゲはもはや「再建中のブランド」ではなく、「再評価されるべき時計メゾン」として国際的にも注目を集める存在へと成長していきました。
1999年、インベストコープはブランド価値の大幅上昇を受け、スイスのスウォッチグループにブレゲを売却することになります。これは、ブレゲがグローバル戦略のもと、次なる進化の段階に入るための大きな転換点となりました。
このようにインベストコープ期は、ショーメ時代に復活したブレゲを、「持続可能なブランド」へと商業的にも技術的にも押し上げた極めて重要な12年間だったと総括できます。
■ 第3期:スウォッチグループ期(1999年 – 現在)
1999年、スイスの大手時計グループ「スウォッチグループ」がブレゲを買収し、同時にヌーヴェル・レマニアも統合。創業者ニコラス・G・ハイエック氏はブレゲへの並々ならぬ思い入れを持ち、自らブレゲのCEOを兼務する形でブランド再建を主導しました。
この時期にまず行われたのは、開発・製造の完全内製化です。レマニアは「マニュファクチュール・ブレゲ(Manufacture Breguet)」へと改称され、トゥールビヨン、ミニッツリピーター、エクストラフラットなどの複雑機構を一貫して自社で製造する体制が確立されました。これにより、ブレゲは名実ともに“マニュファクチュールブランド”としての地位を取り戻します。
さらにスウォッチグループは、ブレゲのブランド価値向上に向けて、技術革新とデザイン性を融合した数々の新作を投入。シリコン素材を活用したひげゼンマイや脱進機、マグネットを応用した革新的な機構など、ハイエンド・コンプリケーションの分野で時計界をリードする存在となっています。
販売網の拡大も進み、グローバルなブティック展開が本格化。クラシックコレクションやマリーン、トラディションといった主要ラインが整備され、世界中の富裕層に支持されるラグジュアリーブランドとしてのポジションが明確化されました。
また、2010年代以降は時計博物館の拡充やアーカイブ整備にも力を入れ、ブレゲの歴史的意義とヘリテージの再確認を進めています。これは単なるマーケティングではなく、ブランドの“精神的価値”を次世代に伝える重要な試みといえるでしょう。
このように、スウォッチグループ期はブレゲが「工芸」と「革新」を両立させ、現代においても一流ブランドとしての地位を確固たるものにした時代といえます。
■ 幻の「PPR期」は存在しない?
一部文献やネット上で「PPR(現Kering)期」が挟まれていたとの記載もありますが、信頼性の高い資料ではそのような事実は確認されていません。PPRはグッチやウブロなどの関係で時計業界に関与していましたが、ブレゲの所有には関わっていないのが通説です。
■ 時系列まとめ
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1970年:Chaumet が Breguet を買収(ショーメ期)
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1987年:Chaumet の破綻 → Investcorp が買収(インベストコープ期)
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1991年:Investcorp が Nouvelle Lémania を吸収し統合体制を構築
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1999年:Swatch Group がブレゲを買収(スウォッチ期)
■ 終わりに
ブレゲは、単なる時計ブランドではなく、時代ごとに異なる哲学と投資戦略のもとで生まれ変わってきた稀有な存在です。ショーメによる再始動、インベストコープによる再建、そしてスウォッチによるグローバル・ラグジュアリーブランドへの転身——そのすべてがブレゲの現在を形作るピースとなっています。
今後もブレゲの動向からは目が離せません。