裏蓋の内側から読み取るパテックフィリップのケースメーカー【アトリエレユニ】
ここでは、裏蓋の内側から見るパテックフィリップのケースメーカーという内容を解説して参ります。
現在のパテックフィリップはケースも自社で作られていますが、昔は別の工房に製造を依頼して、自社の哲学に即したケースを採用してきた歴史があります。
そして、それは1つの工房ではなく複数の工房からケースを調達していました。
それらの公房は表面上では分かりませんが、時計の裏蓋の内側を見れば分かります。
そんな謎に満ちたパテックとケース会社について、これからディープな世界へ潜ることにしましょう。
裏蓋の内側から読み取るパテックフィリップのケースメーカー
19世紀半ば、時計製造が一人の時計職人の手から離れ、大規模な製造が可能になると、ケースは専門のケースメーカーによって製造されてきました。
これらのケースメーカーの評判は様々でしたが、パテック・フィリップのような会社は、非常に優れた技術、そして職人技を持つケースメーカーとしか仕事をしませんでした。
宝石商としてスタートしたケースメーカーもあれば、革新的な技術やステンレスなどの新しい金属の使用、防水ケースの製作によって名声を確立したケースメーカーもあります。
ケースメーカーは、様々な形状のケースを掲載したカタログを作成します。
そして当時の時計ブランドは、それらのケースから自社の価値観や哲学にあったケースを採用し、そこに自社で製作した新しいムーブメントを最も引き立てるケースを選ぶのです。
ではこちらの画像をご覧ください⬇️
左側がパテックフィリップRef.3520Dで、右側がオーデマピゲのラウンドウォッチです。
パテックの方にクルドパリの装飾が施してあるので、ある程度の違いは出来るのですが、基本的なケースの作りがほぼ同じなのは、なんとなく分かって頂けると思います。
そしてこれら2つの時計は、同じ工房で作られたケースによって完成品になっているのです。
もう少し詳細を見ていきましょう。
ではこちらの画像をご覧ください。

パテックフィリップの裏蓋の内側:ヴェンゲル社『キーナンバー1』
どのスイスのケースメーカーが、どのパテック・フィリップのケースを製造したかを特定するには、ケースバックの内側に刻印された数字これは、裏蓋の内側にある『鍵』のマークの中の数字ですね。
ですので、今回のであればキーナンバーが1なので、『ヴェンゲル社』がケースを製造したんだなぁ・・・ってのが分かるんですね。
このように、番号で管理されているのはケースメーカーは他の時計メーカーにもケースを供給しており、その番号がケースメーカーを表す番号だということです。
ここまでの話を踏まえて、再度先ほどの2つの時計を見ていきましょう。
こちらパテックフィリップRef.3520の裏蓋も一緒に載せている写真なのですが、ホワイトゴールドであるために少し見にくいと思います。
ですので、裏蓋だけの単体の写真がこちらです。

鍵のマークの中に数字の『1』が刻印されているのが分かりますよね。
この部分がキーナンバーとなります。
ではオーデマの方も見てみましょう。

こちらも鍵のマークが見えてますが、その中に1の数字が入ってるのが分かりますよね。
これも先ほどのパテックと同じ、ヴェンゲル社が製造したケースであるというのが分かるのです。
ではなぜこのような数字で管理されているのでしょうか?
これは根本的な問題に、ほぼ全てのスイスの腕時計ブランドは他社でケースが作られたことを知られたくなかったからです。
例えば、世界3大時計ブランドのヴィンテージウォッチはどこかのタイミングで100%ジャガールクルトのムーブメントを搭載しているのですが、それでもジャガールクルトのムーブメントを載せているとは言いませんでしたし、元々のキャリバーを自社でチューニングして、自社製と謳って搭載させていました。
これは、そのブランドが持つ世界観やイメージ、品質を崩さないようにするためです。
今回でいえば、パテックフィリップはそういったケースもムーブメントも外部で供給されたもので、製造されていたのだとすれば、組み立てやさんのような印象を与えてしまいますよね。
しかし、パテックフィリップは腕時計界の王者であり、そのようなイメージや連想を与えてはいけないのです。
もちろん、他のブランドも自社の世界観や価値観があるので、他社で作られたものを搭載させるというのは、ブランドのイメージを下げてしまうために、このように通常では分からないようにキーナンバー制度を採用したのです。
これがキーナンバーが採用されるようになったきっかけです。
そして、これらはスイス腕時計業界での統一された規格となり、1934年の貴金属法によって、ケースメーカー識別マークの使用が法律で義務化されました。
以降、スイス国内で貴金属製の時計ケースを製造するメーカーは、ベルンにある貴金属管理中央局(Central Bureau for the Control of Precious Metals)に登録し、所定のマークを打刻することが必須となったのです。
このシステムでは、スイス国内の地域(主にジュネーブ地方、ヌーシャテル地方、ジュラ地方)ごとに、**異なるシンボルマーク(図形)**を使ってケースの製造地域を識別できるようになっています。
🔨 ハンマー型鍵型ケースの製造地域(Poinçon de Maître)
地域 | マークの形 | 中に入る記号 | 説明 |
---|---|---|---|
ジュネーブ(Genève) | 鍵(Key) | 数字のみ(例:🔑28) | 例:アトリエ・レユニは🔑28 |
ヌーシャテル州(Neuchâtel) | ハンマー(Hammer) | C または L(+数字) | C=La Chaux-de-Fonds/L=Le Locle |
ジュラ地方など他地域 | ハンマー | 数字のみ(記号なし) | 地域によってアルファベットの記号は使わない場合もある |
このように3つの地域のマークがあるのですが、実際にはジュラ地方の中のヌーシャテルなので、これら2つはハンマーヘッドのマークが採用されています。
我々が見かけるのが基本的には先ほどのパテックとオーデマのとこでご覧頂いた鍵のマークです。
基本的にパテックのケースの刻印は、鍵のマークの割合が多いです。
と言いますのも、ジュネーブで製造されるケースメーカーには『鍵』のマークを、ヌーシャテルやジュラ地方に分類されるラ・ショー・ド・フォンで製造されるメーカーには『ハンマー』のマークが与えられるからです。
ではパテックはどこに工房を構えているかと言いますと、ジュネーブにあります。
要するに、特別な技術を持っている場合でない限りは、地域的に近いジュネーブにあるケースメーカーに依頼していたから鍵のマークが多いんですね。
その次がハンマーヘッドのマークとなります。
ではハンマーヘッドのマークも確認して見ましょう。
ハンマーヘッドの刻印はパテックにも存在するのですが、見つけることが出来ませんでしたので、今回はコンコルドという会社の裏蓋の内側の写真を載せております。
ハンマーヘッドとは、日本的に言えばトンカチを連想して頂くと分かりやすいと思うんですが、その先端の部分のことですね。
そして、その中に136という数字が入っています。
このケース製造メーカーはC.R. スピルマン社(C.R. Spillmann SA) であり、ケース番号とケース会社については後半の方で一覧にまとめておりますので、そちらからご覧くださいませ。
ちなみに0.585は14Kであることを表しています。
その左にあるマークはリスのマークで、14金製であることを政府が保証(1914〜1994)しているマークです。
では先にパテックのケースを製造してきた、ケースメーカーを一通りご紹介します。
キーナンバー | メーカー名 | 特徴例 |
---|---|---|
1 | ヴェンゲル | Ref.2499や2551など、多数のモデルを製造 |
2 | F.バウムガルトナー | Ref.2526やギルバート・アルバート系ケースを多数製造 |
4 | アントワーヌ・ゲルラッハ | Ref.96、3448など重要モデルを制作 |
5 | ジョージ・クロワジエ | Ref.1518のステンレスケースなどで有名 |
8 | フランソワ・マルコフスキー | トップハット、エッフェル塔、ref.1450など |
9 | エミール・ヴィシェ | 初期2499、1526など。60年代に閉業 |
11 | タウベール | Ref.1463や防水角型ケースの先駆け。1924年にFBを買収しFBマークも使用 |
23 | エグリー・エ・シー | ユニークなデザイン。ウミガメ、ジラッファなど |
26 | ポンティ・ジェンナーリ |
ブレスレットと一体型ケース製造 |
28 |
アトリエ・レユニ | パテックに買収され、ref.3970、3919など製造 |
32 | ゲイ・フレア | ノーチラスプロトタイプのケース制作 |
115 | ファーブル・ペレ | Ref.3940やノーチェリプスなど多様なケースを制作 |
121 | ギヨー(ギヨッド・グンター) | ref.5059、5004などを製造 |
JHP | ジャン=ピエール・ハグマン | ミニッツリピーターやスターキャリバーなど手仕上げ |
このように、かなりの数のケースメーカーが、パテックフィリップのためにケースを製造してきた歴史があります。
そして、納品されたすべてのケースは、最終的にパテックによって手作業で仕上げられることとなります。
これらのキーナンバーですが、番号が若い方が古い工房というわけではありません。
ケースメーカーは前述したスイスの貴金属管理中央局(Office Central du Contrôle des Métaux Précieux)に申請するんですが、登録された順に「キーナンバー(数字)」と「地域記号(鍵やハンマーなど)」が割り当てられているので、ただ単に申請した順番なんですね。
要するに、歴史のある古い工房でも申請が遅かったら、後半の番号が振り分けられるということですね。
エリプスのケース
ケース製造における最も重要な変化は、エリプス・コレクションの登場でしょう。
エリプスのケースの場合、パテックフィリップ内にいたケースデザイナーであるジャン=ピエール・フラッティーニは、主にウェンガー(キーナンバー1)、F.バウムガルトナー(キーナンバー2)、アトリエ・レユニ(キーナンバー28)と協力しました。
パテック社は、エリプスの形を2パターンにするのと同時に、それに接続されるブレスレットにも複数のパターンを準備するために、様々なケースメーカーを雇い、似たようなデザインのケースを製造させていました。
よって、我々が見ているヴィンテージのパテックフィリップのエリプスは、実は外見は同じサイズで同じ形に見えているのですが、実はしっかりとチェックすると違う工房で作られているものなのです。
メーカー側からすれば、パテック・フィリップの仕様に合わせて、ケースを製造するのは時間のかかるプロセスであり、レベルの高い要求を求められたそうです。
そして、これが部品の製造を外部に依頼したとしても、パテックの厳格な基準を確実に満たす唯一の方法だったのです。
そんな感じで、出しては戻して修正して、を繰り返すようなことが多かったことも、パテック社ができる限り多くの部品を社内で製造するようになった理由の1つなのです。
ではここからは、アトリエ・レユニについて解説して参ります。
アトリエ・レユニについて
現在のパテックフィリップは、ケースを自社で作っています。
そして、それを実現しているのはアトリエ・レユニの功績が大きく影響しています。
パテック フィリップの名作「ゴールデン・エリプス(Golden Ellipse)」は、1968年に登場しました。
その独特な楕円形ケースは、黄金比に基づいた完璧なプロポーションを持ち、以後同社のドレスウォッチの象徴的存在となり現代にも続いている、超人気モデルです。
このエリプスを支えたのが、ジュネーブにあったアトリエ・レユニ(Ateliers Réunis)というケースメーカーです。
アトリエ・レユニは、1930年代から高級時計ブランドに金無垢ケースを供給してきた工房で、スイスのキーナンバー28番を持つ、格式ある工房でした。
1960年代後半から1970年代にかけて、パテックはゴールデン・エリプスのケース製造を外部に委託していましたが、そのうちの一社がアトリエ・レユニでした。
レユニは、パテックが求める超薄型でエレガントなケースを製造する、高い技術力を持っていたため、エリプスの完成度に大きく貢献しています。
そして1975年、パテック フィリップはこのアトリエ・レユニを完全に買収します。
この買収により、パテックはケース製造の自社一貫体制を築くことに成功しました。
それまでは外注に頼っていたケース作りを、自社の管理下で品質・供給・設計すべてを統合できるようになったのです。
つまり、ゴールデン・エリプスの美しいケースの背景には、外注時代のアトリエ・レユニの技術力と、買収による内製化というお互いがお互いの力を最大限に発揮出来る買収となったのです。
よって現在では、アトリエ・レユニの建物は「パテック フィリップ・ミュージアム」として使われており、ブランドの歴史と職人技の象徴となっています。