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Article: Rue des Vieux-Grenadiers 7『リュ・デ・ヴュー・グルナディエ・セット』現在のパテックフィリップミュージアムの元の姿はどうなっていたの?

Rue des Vieux-Grenadiers 7『リュ・デ・ヴュー・グルナディエ・セット』現在のパテックフィリップミュージアムの元の姿はどうなっていたの?

アトリエレユニの原型を探す旅

ジュネーブの Rue des Vieux-Grenadiers 7 『リュ・デ・ヴュー・グルナディエ・セット』の建物は、もともとジュエラー/ブレスレット名門の Ponti-Gennari 『ポンティ・ジェンナリ』が工房として使っていたアトリエです。

その後、1975年にパテックがこの建物を取得して Ateliers Réunis『アトリエ・レユニ』 のケース/ブレス工房を入居させました。

のちに改装され、2001年からはパテック・フィリップ・ミュージアムになっています。

 

 

ポンティ・ジェンナリを買収したピアジェ

ポンティジェンナリという工房ですが、実は1975年にパテックが買収する前に別の時計ブランドが買収しています。

それがピアジェです。

明確な一次情報はありませんが、1969年にピアジェによって買収されています。

ですので、元々はピアジェのケース、ブレスレット制作部門だった工房でした。

ここで補足説明なのですが、リュ・デ・ヴュー・グルナディエ・セットの建物はパテックが買収したのですが、職人までをも買収したわけではありません。

パテックフィリップはその建物だけが欲しかったんですね。

ですが、実際のところは職人も移動したと考えるのが自然です。

 

 

アトリエレユニの職人はどこから来たの?

では、この新しい工房であるアトリエレユニの職人はどこから来たのでしょうか?

それは元々パテックフィリップの中にいた職人です。

(おそらくジャンピエールフラッティーニもそうです)

あと、Rue Céard 12(リュ・セアール通り12番地)に工房を構えていたアトリエレユニの職人たちです。

そもそもアトリエレユニの前進であるMarcel Pugin S.A(マルセルピュジャンSA)は1947年に“キーナンバー刻印登録28番”の付与を受けて腕時計ケース製造を開始したことが、登記資料を基にした整理で確認できます。


それと同時に、これは私の推測になるのですが、ポンティ・ジェンナリの職人の全てではなく一部の職人がそのまま残ったことが想定されます。

なぜなら、ジェンナリが直前まで使っていた建物・設備・治具が残っていれば、その操作に長けた職人を“点”で再雇用するのは効率的だからです。

また、スイスの時計業界では、複数ブランド・複数工房で技術者が流動的に働いていた事例もよくあることでした。

つまり、職人が複数のブランドや工房の仕事を掛け持ちすることも、珍しくなかったという背景があるからです。

これは、高度な技能を持つ職人は需要が高く、さまざまな工房・ブランドから依頼を受けることができたからです。

例えば、ジャンピエールハグマンもいろんな工房を渡り歩いているために、同じような境遇だった人物は多くいることが推測されます。

ただし、繰り返しになりますが、具体的な人数や名簿を示す一次資料は公表されていません。

ちなみに、1960年代にパテックフィリップのデザイナーであるJean-Pierre Frattini(ジャン=ピエール・フラッティニ)は、エリプスのデザインを完成させた後に、アトリエレユニの職人に図面を渡して、完成形が作られました。

よって、パテックフィリップ社が初めて自社でデザインしたモデルは、エリプスなのです。

また、フラッティーニは初期のノーチラスの製造にも深く関わっている人物です。

 

ポンティジェンナリで働いてた職人はどこに行ったの?

工房がなくなったことで、ポンティの職人たちは働く場を失ったわけではありません。

元々ピアジェに買収されてますので、ピアジェの工房で働くことになります。

2001年にプラン=レ=ワット工場が建設されるのですが、1975年以降〜2001年までは、ムーブメントはラ・コート=オ・フェ(ヌーシャテル)で継続し、外装・宝飾部門は=ジュネーブのアトリエ群で継続という体制です。

2001年にプラン=レ=ワット(Plan-les-Ouates)の新マニュファクチュールを開設し、ケース/ブレス製作・宝飾・ケーシング等の“外装〜宝飾工程”を一つの大拠点に集約しました。

(ケースやブレスはプラン=レ=ワット工場が主体です。ラ・コート=オ・フェの機能を分割させたと考えると分かりやすいでしょう。)

よって、今でもポンティ・ジェンナリの技術はピアジェの中で引き継がれているのです。

 

 

 

建物(場所):Ponti-Gennari →(1975年にパテック取得)→ Ateliers Réunis →(2001年〜)Patek Museum。

組織:Ponti-Gennari と Ateliers Réunis は別の企業/工房だが、**同じ建物を“時代違いで使った”**という関係です。

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