コレクションに値する腕時計のベルト?パテックフィリップを支え高みを極めたブレスレットメーカーたち
動画で『コレクションに値する腕時計のベルト?パテックフィリップを支え高みを極めたブレスレットメーカーたち』をご覧になる方はこちらから⬇️
この記事では、【コレクションに値する腕時計のベルト?パテックフィリップを支え高みを極めたブレスレットメーカーたち】
という内容で解説して参ります。

コレクションに値する!パテック フィリップのブレスレットメーカー
パテック フィリップが2024年の「ウォッチズ&ワンダーズ」でゴールデン・エリプス Ref.5738/1R-001を発表した際、同社はこの新作ウォッチと同じくらいの誇りをもって、ブレスレット製作に関わる職人技を紹介していました。
さらにこのブレスレットの構造は特許も取得しており、公式ウェブサイトの説明を引用すると、「クラシックなチェーンブレスレットのスタイルを再現することを可能にした」と述べられています。

こちらは、1990年代初頭のパテック フィリップの広告に使用された画像で、「パテック フィリップの7つの職人技」が紹介されていました。
その中でチェーン職人の技については、次のように表現されています。
「チェーン職人の手は、金の細工に力強さと繊細さを与えます。」
とですね。
ヴィンテージのパテック フィリップの時計を購入する理由のひとつは、オリジナルのクラシックなチェーンブレスが付いた時計を、現行のブレスレットモデルよりも圧倒的に低価格で手に入れられることです。
さらに重要なのは、ヴィンテージのブレスレット製作に使われていた技術は、今やチェーン細工の職人芸として失われており、同じクオリティを現代で再現しようとすれば、非常に高額になってしまうという点です。
こちらは、1940年代中頃のパテック フィリップの広告の一部を切り取ったものです。
興味深い点として、当時すでに女性たちはゴールドブレスレットの腕時計を身につけていた一方で、男性たちはまだ懐中時計を持ち歩いていたということが挙げられます。
ブレスレット付きの時計が一般的に見られるようになったのは、1920年代後半からのことです。
当初、ブレスレットはゴールドやプラチナで作られ、主にジュエリーと見なされていた女性用の時計に使われていました。
一方、男性がゴールド製のブレスレットを日常的に着けるようになるのは、1950年代に入ってからです。
しかし、第二次世界大戦前後には、男性向けとして折りたたみ式のステンレススチール製ブレスレットが登場し始めました。
これは戦時中に金が不足したこと、そしてスチール製の実用的なツールウォッチが重宝されたことが背景にあります。
※画像はサザビーズより
こちらは美しいレディース用チェーンブレスレットウォッチ、Ref.1276(上の白黒広告に登場するモデル)は、1945年に名チェーン職人ポンティ・ジェンナリによって製作されたものです。
冒頭で話した、パテック フィリップが現在「再現可能になった」としている「クラシックなチェーンブレスレットのスタイル」は、もともと独立した高級宝飾職人たちによって作られていたものです。
そうした職人たちの多くは、パテック フィリップのケース製作も手がけていたことで知られています。
ここからは、パテック フィリップが特に頻繁に協力していたブレスレットメーカーたちを取り上げ、時計本体にふさわしい品質のブレスレットをどのように実現していたのかを解説していきます。
また繰り返しになりますが、オーデマピゲもヴァシュロンコンスタンタンも全く同じというわけではありませんが、ケース製造を依頼していた職人や工房はほとんど同じなので、基本的には同様の作られ方をしていたとイメージされてください。
そのことについては、こちらの動画の中で詳細を解説していますので、是非ともこちらの動画もご覧くださいませ⬇️
それでは早速話を進めて参ります。
シェニストからブレスレットメーカーへの転身
現在はロレックスが1998年に買収したことによって、その技術はロレックスに受け継がれましたが、ゲイ・フレアー(GayFrères)のようなジュエラーたちは、ブレスレット製作に非常に真剣に取り組んでいたことが、当時の広告からもうかがえます。
この初期の広告では、ブレスレットの“バンブー(竹)デザイン”自体が、まるでスターのように扱われています。
多くの時計用ブレスレットメーカーは、もともと**「シェニスト(chainiste)」として出発しました。**
このシェニストという言葉はフランス語で、懐中時計用のチェーンを製作する会社を意味します。
19世紀のジュネーブは、高品質なチェーンを作るシェニストの街として広く知られていました。
しかし、20世紀初頭になると懐中時計用チェーンの需要が減少し、これらの企業は腕時計用ブレスレットの製造へと方向転換せざるを得なくなりました。
多くのシェニストはその変化に適応できず、廃業を余儀なくされました。
ここで取り上げるブレスレットメーカーたちは、そうした厳しい時代の中で生き残り、当時最高峰の時計ブランドに、ブレスレットを供給する存在として成功を収めた職人たちです。
この「クリエイションズ(Creations)1961」と題されたパテック フィリップの広告には、最高峰のブレスレットメーカーたちの手仕事が映し出されています。
中でも特に注目すべきは、**これらの作品のデザイナーであるジルベール・アルベールと密接に協力していたゲイ・フレア(Gay Frères)**の存在です。
シェニスト(chainiste)によって製作されたオリジナルの時計用ブレスレットは、まさに別格の存在であり、それ自体が一つの芸術作品と言っても過言ではありません。
近年では、ヴィンテージのブレスレットウォッチに対する評価が高まりつつあります。
その理由は、他に類を見ない品質の高さと、価格に対する価値の大きさにあります。
たとえば、現在販売されている新作のエリプス(Ref. 5738/1R)のブレスレットモデルは、**希望小売価格が6万ドル超(約900万円)**ですが、1970〜80年代にマスター・シェニストが製作したブレスレット付きのエリプスなら、1万ドル(約150万円)前後から入手可能です。
では最初にゲイフレアー社から解説して参ります。
ゲイ・フレア『Gay Frères』
表も裏も完璧なブレスレット
このパテック フィリップ Ref. 2573/2Gに取り付けられたメッシュブレスレットは、あまりに繊細な仕上がりのため、裏側であっても表と見分けがつかないほど美しく作られています。
このような高度な技巧は、ゲイ・フレア(Gay Frères)のような名門チェーン職人にしか成し得ないものです。
このブレスレットは1961年に製作されたもので、工具を使えば簡単に着脱が可能です。
ブレスレットメーカーの中で最も有名なのは、伝説的なジュエラー、**ゲイ・フレアー(Gay Frères)**です。
同社は1835年、ジュネーブでジャン=ピエール・ゲイとガスパール・ティソによって創業されました。
1960〜70年代には、職人技の光るジュエリーでも名を馳せ、現在ではコレクターからも非常に人気の高い存在となっています。
そして現代では、時計史における最も象徴的なブレスレットデザインのうち2つノーチラス(Ref.3700/1976年)とロイヤルオーク(1972年)を製造した会社として広く知られています。
文字盤がなくてもひと目でわかるノーチラスのブレスレットは、時計界で最も象徴的なデザインのひとつとなりました。
このRef. 3700/1Aは、1977年にジェラルド・ジェンタによってデザインされたもので、
およそ50年経った今でも、当時と変わらぬ魅力を放っています。
ゲイ・フレア(Gay Frères)は、20世紀初頭にステンレススチール製ブレスレットの製造に本格的に取り組んだ最初の企業のひとつです。
それまでは、1914年までゴールドやプラチナのみでブレスレットを製作していましたが、1920年代後半にはステンレススチールを用いた革新的な試みを始め、その成果として生まれた**「ボンクリップ(Bonklip)スタイル」のブレスレットデザインは、1930年代にロレックスが最初に採用**しました。
ボンクリップブレスレットは、着け心地が良く、伸縮性があり、耐久性も高いという特徴を持っており、製造技術としてはそこまで複雑ではないものの、非常に実用的で頑丈だったため、特に軍用を代表としたツールウォッチとの相性が抜群でした。
そして1942年には、ゲイ・フレアは月に約1000kgものステンレススチールを使用し、1日あたり700本という膨大な数のブレスレットを製造していたとされています。
ロレックスの初期のオイスターウォッチにも、このブレスレットが取り付けられており、
このスタイルは今でも、ロレックスを象徴するブレスレットのひとつとして高く評価されています。
このような長年の関係を踏まえれば、ロレックスが1998年にゲイ・フレアを買収したことも、決して驚くことではないでしょう。
究極中の究極──こちらは1943年製のステンレススチール製 Ref.1518Aで、ゲイ・フレア(Gay Frères)製の美しい“ビーズ・オブ・ライス”ブレスレットが装着されています。
ゲイ・フレア(Gay Frères)のステンレススチール加工における卓越した技術力は、パテック フィリップも魅了し、スチール製時計のいくつかに、ブレスレットを提供することとなりました。
その中でも最も有名なのが、2016年にフィリップスのオークションで落札された Ref.1518A に装着された“ビーズ・オブ・ライス”ブレスレットです。
この時計はもともと1943年に製造され、当時の販売価格は2,265スイスフラン(約38万5,000円)でしたが、後にフィリップスで驚異の1,100万スイスフラン(約18億7,000万円)で落札されました。
この三色ゴールドのカフブレスレットは、ジルベール・アルベールがデザインしたパテック フィリップ Ref.3086/84Jに装着されたものです。
ブレスレットには「PPC」のサインが入っていますが、その精緻な職人技は、まさにゲイ・フレア(Gay Frères)らしいものであり、アルベールと密接に協力して彼のデザインを具現化していたことを物語っています。
ゲイ・フレール(Gay Frères)のジュエラーとしての卓越した技術は、ジルベール・アルベールも魅了し、彼はパテック フィリップのために手がけた最も複雑で精巧な時計やジュエリーデザインのいくつかを、ゲイ・フレールに製作依頼しています。
ポンティ・ジェンナリ(Ponti Gennari)
見事な造形美を誇るこのブレスレットは、1955年にPonti Gennariが製作したもので、パテック フィリップ Ref.2526Jに取り付けられていました。
その大胆で彫刻的なデザインは、まさにジュエリーと時計の境界を超えた芸術作品です。
もう一つの最高峰のブレスレットメーカーとして広く認められているのが、**ポンティ・ジェンナリ(Ponti Gennari)**です。
長年にわたり、彼らの工房は現在パテック フィリップ美術館が入っている建物、アトリエ・レユニ(Atelier Réunis)内にありました。
1950年代、ポンティ・ジェンナリのブレスレットは非常に高く評価されており、人気の絶頂期には、同社のブレスレットが付くだけでパテック フィリップの時計の価格に1,500スイスフラン(約25万5,000円)が上乗せされることもあったほどです。
ポンティ・ジェンナリは、華やかで彫刻的なスタイルで知られ、パテック フィリップが「特別な何か」を求める際に、たびたび密接に協力していました。
なかでも象徴的なデザインとして知られているのが、「クラムシェル(貝殻)」「ロブスターテイル(伊勢海老の尾)」と呼ばれる大胆なブレスレットです。
こちらのイエローゴールドモデルに装着されているブレスレットですね。
こうした理由から、コレクターたちがこの由緒あるブレスレットメーカーを積極的に探し求めるのも、決して不思議ではありません。
なお、ポンティ・ジェンナリは1969年にピアジェ(Piaget)によって買収され、その歴史を終えました。
ジャン=ピエール・エコフェイ(Jean-Pierre Ecoffey)
繊細なメッシュ──メッシュブレスレットの名匠、ジャン=ピエール・エコフェイ(Jean-Pierre Ecoffey)が手がけたこのブレスレットは、1976年製のパテック フィリップ Ref.3599/1Jの文字盤に美しく調和するように作られています。
まるで一体となったかのような仕上がりは、彼の卓越した職人技を如実に物語っています。
ジャン=ピエール・エコフェイ(Jean Pierre Ecoffey)は、最高品質のブレスレット製作を専門とする職人でした。
彼の工房で製作されたブレスレットには、クラスプ部分に「JPE」という刻印が入っており、それが見分ける手がかりとなります。
JPEは、20世紀後半のパテック フィリップのために、ジュエリーやブレスレットの製作を数多く手がけており、中でも最も精巧で複雑なブレスレットの多くを担当していたことで知られています。
もし極細のメッシュブレスレットが、金属というよりも布のようにしなやかに感じられるなら、それはおそらく、ジャン=ピエール・エコフェイの工房によって作られたものである可能性が高いでしょう。
まるで絹のような完璧さ──このブレスレットは、**ジャン=ピエール・エコフェイ(Jean-Pierre Ecoffey)**によって製作されたもので、パテック フィリップ Ref.3448Gのために作られたものです。
両端に見られる小さな切り欠きにご注目ください。これは製造ミスではなく、ブレスレットを外さずにカレンダーのコレクター(調整ボタン)にアクセスできるよう設計された工夫です。
このような細部へのこだわりこそが、パテック フィリップらしさの真髄であり、ジャン=ピエール・エコフェイのようなマスターブレスレットメーカーにしか実現できない職人技です。
ジャン=ピエール・エコフェイ(JPE)のブレスレットはあまりにも精巧で美しく、元の時計がなくても単体でオークションに出品されるほどの価値を持っています。
たとえば、2023年5月にフィリップスのジュネーブオークションでは、パテック フィリップ Ref.3448G のために製作されたJPE製ブレスレットが、なんと44,450スイスフラン(約750万円)で落札されました(※上記参照)。
この事例は、ジャン=ピエール・エコフェイのブレスレットが、時計本体と同等、あるいはそれ以上の工芸的・市場的価値を持っていることを示しています。
コルニュ【Cornu & Cie】
まるで布のようなブレスレット──このパテック フィリップ Ref.3418Aに装着されたブレスレットは、コルニュ(Cornu & Cie)によってステンレススチールで製作されたものです。
素材は金属でありながら、まるで絹のように繊細でしなやかな仕上がりを実現しており、その卓越した技術が際立っています。
ルイ・コルニュ(Louis Cornu)は、1877年に自らの工房を設立し、懐中時計用のペンダント(吊り金具)製作を専門として活動を開始しました。
その後、1914年には、腕時計産業の勃興に伴い、ラグ(バネ棒を通す部分)の製作に特化するようになります。
さらに、1920年にはブレスレットの需要が高まったことを受けて、Cornu & Cie はクラスプや伸縮式ブレスレットの開発にも着手しました。
同社によって製作されたブレスレットやバックルには、「UNROC」という刻印が入っていることがあります。
この刻印は、平たいひし形(ロザンジュ)型の枠の中に記されており、“UNROC” は “CORNU” を逆から綴った文字列です(ちょっとした遊び心ですね)。
このように Cornu & Cie は、懐中時計から腕時計への移行期において、技術革新とともに柔軟に進化を遂げた工房の代表例とも言える存在です。
Weber & Cie(ウェーバー・エ・シー)
永遠の輝き──この驚くべきダイヤモンドブレスレットは、1935年頃にパテック フィリップのためにウェーバー・エ・シー(Weber & Cie)によって製作されたものです。
アール・デコ様式を感じさせる繊細かつ贅沢なデザインは、まさに当時のジュネーブの職人技を象徴しており、時計とジュエリーが見事に融合した芸術作品と言えるでしょう。
アルバート・ウェーバー(Albert Weber)は、1918年に自身の名を冠したジュエリー工房を設立しました。
彼は、ジュネーブにある著名な美術学校エコール・デ・ザール(École d’Arts)で修業を積んだ職人であり、そこはパテック フィリップの数多くの才能ある工芸師たちが学んだ場所としても知られています。
ウェーバーは、パテック フィリップ初期の宝飾ブレスレットウォッチの多くを手がけたジュエラーであり、時計だけでなく、同社のためにジュエリー単体の製作も請け負っていました。
たとえば、前述のレースのような繊細なデザインを持つダイヤモンドブレスレットは、以下のような構成で作られています。
-
ラウンドダイヤ3石で計約5.25カラット
-
さらに229石のラウンドダイヤで約24.50カラットを装飾
-
12石のバゲットカットダイヤで約1.50カラットを使用
-
プラチナにセッティングされた極めて華麗な作品
このように、時計を伴わないハイジュエリー作品をパテック フィリップが依頼することは稀ではありますが、珍しいことではなく、現在でも同社は、本店(ジュネーブ)高級宝飾作品を製作し続けています。
アトリエ・レユニ(Ateliers Réunis)
こちらは、パテック フィリップ美術館になる以前の、ジュネーブにあるアトリエ・レユニ(Ateliers Réunis)の建物です。
この建物には、かつて**スイスでも屈指の時計ケース職人やブレスレットメーカーたちが工房を構えており、その卓越した技術力によって多くの名作が生み出されました。
この歴史ある建物は、1975年にパテック フィリップが購入し、のちに美術館として生まれ変わることになります。
読者の皆さんの中には、アトリエ・レユニ(Ateliers Réunis)と聞いて、現在のパテック フィリップ美術館の所在地としてご存知の方も多いかもしれません。
しかしこの建物は、長年にわたりケースやブレスレットの製造拠点として機能しており、数々の象徴的な時計用ブレスレットがここで生まれました。
1975年、パテック フィリップはこのアトリエ・レユニを買収します。
その理由のひとつは、自社のケースやブレスレットの多くを、この工房が製作していたためです。
当初、パテック フィリップにとってケースとブレスレット製造を自社で引き継ぐことは容易ではありませんでした。
特に困難を極めたのが、ジェラルド・ジェンタが設計した「ノーチラス」の製造でした。
ノーチラスのケースとブレスレットは、極めて複雑な設計であり、初期の貴金属製ブレスレットはゲイ・フレール(Gay Frères)が製作していました。
その後、アトリエ・レユニがステンレススチール製ブレスレットの製造を引き継ぎましたが、既存の機械では精度が足りないという問題に直面します。
この経験から、パテック フィリップはケースやブレスレットの製造は極めて専門的な分野であり、真剣な時間と投資が必要であることを痛感しました。
なお、この出来事はクォーツショック(Quartz Crisis)によって機械式時計の未来が揺らいでいた1970年代のことです。
それでも当時のフィリップ・スターン氏は、大きな決断を下し、自社の未来に投資する道を選びました。
そして今となっては、パテックフィリップのベルトはアトリエレユニの技術を大きく取り込んで作られているのです。
このパテック フィリップ「ラ・フラム」Ref. 4815/3J は、アトリエ・レユニ(Atelier Réunis)における職人たちの技術が結集した作品を象徴しています。
ケース、ブレスレット、そしてダイヤモンドセッティングのすべてが、アトリエ内の各専門職人によって見事に仕上げられており、ブランドの総合的な芸術性が体現された一本です。
注目すべき点として、パテック フィリップ社長 ティエリー・スターン(Thierry Stern)氏は、自身のキャリアをアトリエ・レユニの工房からスタートさせたという事実があります。
彼にとってこの経験は非常に貴重なものであり、本人もこう振り返っています
「すべてが機械を使わずに行われていました。
なぜなら、このブレスレットには金細工職人しか携わっていなかったからです。
工具と金の地金だけを使って、ゼロから何かを生み出すという美しさを、私は本当に目の当たりにし、そして感じることができました。」
こうした初期の体験が、ティエリー・スターン氏にとっての価値観を形成し、のちに**新作「ゴールデン・エリプス Ref. 5738/1R-001」で、ブレスレット製作という芸術に再び光を当てるきっかけとなったのかもしれません。
(ジャン=ピエール・ハグマン/Jean-Pierre Hagmann)
まさに“人・神話・伝説”──**マスターケースメーカー、ジャン=ピエール・ハグマン(Jean-Pierre Hagmann)は、そのキャリアをなんとゲイ・フレール(Gay Frères)やポンティ・ジェンナリ(Ponti Gennari)**といった名門のもとで、ブレスレット職人としてスタートさせました。
その後、彼は卓越した金属加工技術と美的感覚を生かし、時計ケース製作の世界へと進み、スイス時計史に残る存在となっていきます。
ジャン=ピエール・ハグマン(Jean-Pierre Hagmann)は、特別な称賛に値する人物です。
「JPH」のイニシャルで知られる彼は、時計ケース製作の世界において伝説的な存在であり、パテック フィリップの**ミニッツリピーターや「スター・キャリバー」など、時計史に残る重要なケースを数多く手がけてきました。
興味深いのは、ハグマンがその輝かしいキャリアを、ジュエリー職人およびブレスレットメーカーとしてスタートしていることです。
彼自身、この経験がケースメーカーとしての感覚と技術において、非常に重要な基盤となったと語っています。
🕰 ハグマンのキャリア略歴
-
1957年:伝説的ブレスレット工房**ポンティ・ジェンナリ(Ponti Gennari)**にて、ジュエリー職人の見習いとしてキャリアを開始。
-
その後、**ゲイ・フレア(Gay Frères)**に移り、時計用ブレスレット部門での製作に従事。この時期に金属加工の精密な技術を培う。
-
1968年:ケースメーカーギュスターヴ・ブレラ(Gustave Brera)に加入し、本格的に時計ケース製作に転向。
-
1971年:**ジャン=ピエール・エコフェイ(Jean-Pierre Ecoffey)のもとへ移籍。エコフェイが買収した名門ケースメーカージョルジュ・クロジエ(Georges Crosier)**のケース部門を引き継ぎ、ハグマンがその責任者に任命される。
-
1984年:自身の独立したケース製作工房を設立し、以降はパテック フィリップをはじめとする超複雑時計モデルのケース製作を担う。
✨ ハグマンの功績
-
JPHの刻印(実際の並びはJHPになっています)が入ったケースは、品質と芸術性の象徴としてコレクターから高い評価を受けています。
-
ミニッツリピーターの音響特性を最大限に引き出す設計は、彼ならではのもの。
-
パテック フィリップの超複雑モデル、Ref.3974、Ref.5016、Star Calibre 2000 などのケースを担当。
-
晩年には、独立時計師レジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)のブランドAkriviaにも参加し、後進の指導にも尽力。
そして、ハグマンの作ったケースが採用された時計って、パテックの中でも高級品しか存在しないんですよね。
先にサインの画像をご覧下さい。
ですので、ほとんどの画像が市場に出てなかったために、ハグマンが作ったことを表す刻印とそれが入っている腕時計をご覧頂きます。
まずハグマンが作ったケースの刻印はこのように、JHPの刻印が入っています。
この刻印が入ったケースがハグマンが作ったケースの証なんですね。
ではこのサインが入っている時計には何があるかといいますと、Ref.3974、Ref.5016、Star Calibre 2000があります。
今回は1本だけご紹介するのですが、パテックフィリップ グランドコンプリケーション ミニッツリピーターRef.3974ですね。
多くの人にとって“グレイルウォッチ(究極の1本)”とされるこのモデルは、クラシックな永久カレンダーダイヤルのレイアウトと、完璧なバランスの36mmケースを備えた、まさに“ザ・パテック”と呼ぶにふさわしい存在です。
永久カレンダーという複雑機構に加え、ミニッツリピーター機能も搭載されており、技術的な難易度とエンジニアの技巧がさらに際立っています。
ケースは、先ほど説明したジャン=ピエール・ハグマン(Jean-Pierre Hagmann)**によって製作されたもので、ラグの右下には「JHP」のホールマーク(刻印)**が確認できます。
チーズおろし(cheese grater)”のようなデザインのブレスレット**が装着されています。
このユニークなブレスレットは、重要な顧客による特別注文(スペシャルリクエスト)によって製作された可能性が極めて高いと考えられます。
時計は1987年8月5日に納品された記録が残されており、パテック フィリップが個別対応で製作した特注品の可能性を示唆しています。
パテック フィリップのケース製作を手がけた有名な工房についてはすでにご紹介しましたが、ブランドが「特別なものを作りたい」と考えたときには、専門のジュエラーと協力することもありました。
その代表が「チーズグレーター(おろし金)」と呼ばれるブレスレットです。
この特徴的なデザインは、1969年に発表されたBeta 21 Ref.3587で初めて採用されました。
パテック フィリップにとって初となるクォーツ時計は、従来のモデルとは異なる存在感と革新性を示す必要がありました。
直径43mmという非常に大きなケースを支えるには、強度と安定感を兼ね備えたブレスレットが求められたのです。
その要件を満たすと同時に、デザイン的にも唯一無二である必要があったことから、チーズグレーター型のブレスレットが採用されました。
このブレスレットは、ドイツ・フォルツハイムにあるジュエリー専門工房によって製作されたもので、通常のスイス製ブレスレットとは異なる独特の質感と構造を持っています。
その後、このブレスレットデザインはRef.3593やRef.3448/8などの一部モデルにも採用され、いずれも特別な顧客や特注対応のために製作されたと考えられています。
このような背景を知ったうえで、ヴィンテージのパテック フィリップのブレスレットウォッチを腕に着けるとき、そこには単なる装飾品以上の意味が宿っていることを実感できるでしょう。
それは、もはや失われてしまった職人たちの技巧と美意識が息づく、真の芸術作品なのです。その美しさは、これからも世代を超えて受け継がれていくに違いありません。
Other articles
ポワンソン・ド・メートル(Poinçon de Maître)」スイスで貴金属製品(腕時計のケースなど)を作る職人やメーカーが使う識別用の刻印
「ポワンソン・ド・メートル(Poinçon de Maître)」とは? 「ポワンソン・ド・メートル」とは、スイスで貴金属製品(腕時計のケースなど)を作る職人やメーカーが使う識別用の刻印のことです。 たとえば「Poinçon No.5(通称:ジュネーブの鍵)」は、ジュネーブで作られた金やプラチナの時計ケースに打たれるマークです。 この刻印は、「誰が作ったのか」や「どこで作られたか」を特...
Read moreピアジェ・パテックフィリップを支えたポンティ・ジェンナリ『Ponti Gennari』とは?金属芸術の系譜に名を刻んだ伝説の工房
この記事ではポンティ・ジェンナリがどんな工房だったのか? ということについて、深ぼって解説して参ります。 Ponti Gennari(ポンティ・ジェンナリ)とは、20世紀中頃にスイス・ジュネーヴを拠点に活躍した、極めて希少かつ高い技術を有したブレスレットおよびケース製作専門の工房です。 この名は、現代の時計ファンにとってはあまり耳馴染みがないかもしれません。 しかし、ヴィンテージ時計や高級...
Read more