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Article: ピアジェ・パテックフィリップを支えたポンティ・ジェンナリ『Ponti Gennari』とは?金属芸術の系譜に名を刻んだ伝説の工房

ピアジェ・パテックフィリップを支えたポンティ・ジェンナリ『Ponti Gennari』とは?金属芸術の系譜に名を刻んだ伝説の工房

この記事ではポンティ・ジェンナリがどんな工房だったのか?

ということについて、深ぼって解説して参ります。

Ponti Gennari(ポンティ・ジェンナリ)とは、20世紀中頃にスイス・ジュネーヴを拠点に活躍した、極めて希少かつ高い技術を有したブレスレットおよびケース製作専門の工房です。

この名は、現代の時計ファンにとってはあまり耳馴染みがないかもしれません。 しかし、ヴィンテージ時計や高級ジュエリーの世界においては、Ponti Gennariの名が刻まれたブレスレットやケースは、職人芸の結晶として崇拝される存在となっています。

 

高級時計の「裏方」だったPonti Gennari

Ponti Gennariの最大の特徴は、ブランドの顔となる外装、つまり"ケース"と"ブレスレット"の製作に特化していた点です。 それゆえ、彼らの名が前面に出ることはなく、多くの時計は「某有名ブランド」の名前だけが語られる中、Ponti Gennariの精緻な仕事は静かにその品質を物語っていました。

スイスの時計史において、ブレスレット専業工房は数あれど、Ponti Gennariほど"芸術性"と"実用性"を兼ね備えた工房は稀でした。

彼らが手がけたブレスレットは、単なる金属製のバンドではなく、手首に巻く"ジュエリー"であり、まさに"身に着けるアート"そのものでした。

パテック フィリップとの関係

Ponti Gennariが築いてきた輝かしい実績の中でも、パテック フィリップとの関係は極めて重要です。スイスを代表する高級時計ブランドであるパテック フィリップは、自社の厳格な基準を満たす外装部品の供給元として、最上級の職人技を持つ工房との連携を重視してきました。その中でもPonti Gennariは、極めて信頼の厚いパートナーのひとつでした。

特に1950年代から1970年代にかけて、Ponti Gennariはパテック フィリップの薄型ドレスウォッチや、エナメル仕上げを伴う高級ジュエリーウォッチの外装製造を数多く請け負っていました。当時のパテック製品の中で、ケース内部に「PG」または「P.G.」の刻印が見られる個体は、Ponti Gennariが手がけた証とされています。

ジャンピエールエコフィが製造したことが分かるJPEの刻印

こうしたコラボレーションによって生まれた時計は、現在のヴィンテージ市場においても高い評価を得ており、特にCollectors Marketでは「Ponti Gennari製のケースを持つパテック」は、通常のモデルと比較してプレミアム価格が付けられる傾向があります。

さらに注目すべきは、Ponti Gennariが製造したケースの造形美です。単なる保護機能を超えて、視覚的な完成度と質感のバランスを追求した結果、極薄でありながら強度を持ち、彫刻のような仕上げが施された外装が実現しました。特に、ラグやベゼル、裏蓋のカーブに至るまで妥協のない手作業の工程は、今日では再現困難な技術とさえ言われています。

こうした品質の高さから、パテック フィリップは特別なモデルやVIP顧客向けのカスタムモデルをPonti Gennariに依頼することもありました。たとえばエナメルを用いたワンオフピースや、ジュネーブ工芸展出展用の特別モデルなどです。

このように、Ponti Gennariとパテック フィリップの関係は、単なる供給者と発注者という枠にとどまらず、クラフツマンシップとブランド哲学が交差する深いパートナーシップでした。パテックの掲げる「一生ものの時計」という理念は、Ponti Gennariの細部にまで宿る美意識と融合することで、より完成されたものとなっていたのです。

現在でも、当時のパテック製品にPonti Gennariの痕跡が見つかると、それは愛好家にとってまさに「知られざる逸品」として取り扱われる存在になります。

ピアジェとの合併

Ponti Gennariとピアジェの関係は非常に密接なものでしたが、最終的に1980年代後半、ピアジェはPonti Gennariを買収します。

この買収の背景には、外注で行っていた極めて精密なケース製作や宝飾加工の工程を自社内に取り込むことで、品質のコントロールと生産効率を一層高めたいという思惑がありました。

ピアジェは元々、ムーブメントの開発・製造においても独自の道を歩んできたブランドです。特に1957年の極薄手巻きムーブメント「Cal.9P」や、1960年の極薄自動巻き「Cal.12P」の開発によって、ウルトラスリムの名門としての地位を築いていました。

こうした超薄型ムーブメントに対応するためには、精密な外装技術が不可欠でした。特に、ムーブメントにミリ単位でぴったりと収まるような極薄ケースの製作は、当時の一般的な工房では難しく、Ponti Gennariのような超一流の外装工房との協業が不可欠だったのです。

その中で生まれた信頼関係の結果、1980年代後半にピアジェはPonti Gennariの工房および技術者チームを自社のグループ内に取り込みます。これによって、ピアジェはデザイン・ムーブメント・外装のすべてを一貫して自社で完結させる「完全垂直統合型マニュファクチュール」への歩みをさらに進めたことになります。

買収後、Ponti Gennariの名は表舞台から徐々に消えていきますが、そのDNAは現在のピアジェの製品の中にも脈々と息づいています。とくに、アルティプラノ(Altiplano)シリーズやエンペラドール(Emperador)シリーズなど、極薄でありながら高級感に満ちたモデルには、Ponti Gennari由来の外装技術の影響が色濃く反映されていると評価されています。

また、ジュネーヴ近郊にあるピアジェの工房では、かつてPonti Gennariで働いていた職人の一部が引き続き勤務しており、その卓越した技術が次世代の職人へと継承されています。

このように、Ponti Gennariは単なる下請け工房ではなく、ピアジェのクラフツマンシップを支える「中核的存在」であり続けたのです。その伝統は、現代においてもヴィンテージピアジェの価値を高める大きな要因のひとつとなっています。

ピアジェがPonti Gennariを買収したことにより、ブランドとしての完成度は飛躍的に高まり、現在に至るまで“本物の美”を追求し続ける姿勢に大きな影響を与えているのです。

 

ピアジェの工房からパテックの工房へ

時期 所有/運営者 主な出来事・内容
〜1968年頃まで Ponti Gennari(ポンティ・ジェンナリ)

ジュネーブに工房を構える。高級ジュエリーや時計ケース・ブレスレットを製造。

1968〜1970年頃 Piaget(ピアジェ) ポンティ・ジェンナリを買収し、同工房を取得。ピアジェのジュエリー部門・ブレスレット製造に活用。このときに 「Ateliers Réunis(アトリエ・レユニ)」という名称 が用いられ始めた可能性あり。
1975年 Patek Philippe(パテック フィリップ) ピアジェから当該工房を取得。「Ateliers Réunis SA」として社内ケース・ブレス製造部門に再編。その後、2001年に パテック フィリップ・ミュージアム に転用。

 

1970年前後にピアジェは、ポンティジェンナリを買収しましたが、その時に一緒に会社の名前をアトリエレユニという会社に変更しました。

前述した通り、ポンティ・ジェンナリは元々独立系の高級ケース/ブレスレット製造業者だったので、ピアジェが買収したことで「自社に統合された製造機関」であることを示すためには、新しい社名やブランド名に統一する必要がありました。

その後、1975年にアトリエレユニはパテックフィリップに買収されて、現在はパテック フィリップ・ミュージアムとして機能しています。

ここまでの話をまとめると、ポンティジェンナリはピアジェに買収されて、その工房はパテックフィリップに買収されたから、全部がパテックのもの・・・と考えてしまいがちですがそうではないんですね。

 

あくまで、パテックフィリップは、アトリエレユニの工房だけを買収しただけであって、その中のもの、ですので、『人材など』はピアジェが所有したままでした。

これはパテックがジュネーブ市内の一等地に工房を求めていたし、ピアジェも創業地でもあるラ・コート・オ・フェに最先端工場を建設する予定であったために、双方にとっての戦略的な一致があったのでしょう。

よって、先ほどのパートで解説した通り、ポンティジェンナリ時代の職人はピアジェの工房で働いているんですね。

しかし、当時のスイスの時計業界は現在のような完全な縦型内製体制ではなく、複数のブランドが同じ職人、同じサプライヤーを共有していました。

ですので、ジャガールクルトが世界3大時計ブランドにムーブメントを供給していたのと同じですよね。

よって、ピアジェがほとんどの技術を受け継いだはずですが、一部はパテックのところに流れている可能性があることは否定できないでしょう。

といった感じで、次の見出しからはまたポンティジェンナリ時代の工房の話として進めて参ります。

 

 

マスタークラフトマンの輩出

Ponti Gennariという工房は、単なる時計ケースメーカーとしてではなく、高級時計産業において「マスタークラフトマン」を多数輩出した名門として知られています。その背景には、同社が培ってきた極めて高い技術水準と、徹底した職人教育の文化があります。

スイスの伝統的な時計産業では、金属加工、研磨、ハンドエングレービング、ロー付けなど、ひとつひとつの工程において極められた専門技能が求められます。Ponti Gennariは、それぞれの分野において職人を育成し、さらに複数の技術を横断的にマスターする多能工を輩出することで知られていました。

同社出身のクラフトマンの中には、その後パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ ピゲといった名門メゾンで重要な地位を築いた人物も多く、いわば「スイス高級時計業界の登竜門」とも言える存在でした。

また、Ponti Gennari内部では「継承」を重視する文化があり、一流の技術を次世代へと手渡すための見習い制度が長年にわたり続けられてきました。このような仕組みの中から、独立して自ら工房を持つ職人も生まれ、スイスの時計ケース製造の裾野を大きく広げることにも貢献しています。

現在では、Ponti Gennariで修業した職人が製造したヴィンテージケースは、そのクラフツマンのサインや特有の仕上げ技術によって識別されることもあります。特に1970〜80年代に製作されたケースには、後世に残る手仕上げの美しさと、その時代の最高技術が刻まれており、収集家たちにとっては非常に価値のある存在です。

こうした職人たちの存在こそが、Ponti Gennariを単なる外注メーカーではなく、スイス時計史に名を残す文化的な工房へと昇華させた原動力なのです。

現代における評価

現在ではPonti Gennariが手がけたヴィンテージピースは極めて希少であり、特にパテックやピアジェの歴史的な作品にその名残を見ることができます。

市場に出ることは稀で、見つかったとしても非常に高額です。 その価値は素材やブランド名に依るのではなく、「美術品」としての完成度にあります。

そのような意味で、Ponti Gennariは"時を超えた芸術工房"と言えるでしょう。

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