なぜ歳を重ねるとヴィンテージウォッチが良く見えるのか
こんにちは。
ベルモントルの妹尾です。
本日の動画では、「なぜ歳を重ねるとヴィンテージウォッチが良く見えてくるのか?」というテーマでお話ししていきます。
若い頃は、正直あまりピンとこなかったのに、あるタイミングから急にヴィンテージがしっくりくるようになった、という感覚を持たれている方も多いと思います。
逆に、新品の時計に対しては、以前ほど惹かれなくなってきたと感じることもあるかもしれません。
この変化は単なる好みの問題ではなく、価値の見方そのものが少しずつ変わってきていることが関係しています。
今回は、その変化がどこから来ているのかを、順番に整理していきたいと思います。
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それでは話を進めて参ります。
なぜ若い頃はヴィンテージに惹かれないのか?
まず最初に、なぜ若い頃はヴィンテージウォッチにあまり惹かれないのか、というところからお話しします。
これは単純に「好みの問題」というよりも、価値の判断がまだシンプルだからだと思います。
若い頃はどうしても、分かりやすい良さに惹かれやすいです。
例えば、新しさ。
傷がないこと。
性能が高いこと。
ブランドとしての分かりやすさ。
こういった要素は、見た瞬間に理解しやすく、「良い」と判断しやすいポイントです。
一方で、ヴィンテージウォッチは真逆の特徴を持っています。
多少の傷や経年変化がある。
サイズも現代の基準からすると小さい。
性能だけで見れば、最新の時計の方が優れている場合も多い。
つまり、分かりやすい基準で見てしまうと、どうしても魅力が伝わりにくい存在です。
さらに、ヴィンテージには「知識」が前提になる部分もあります。
なぜこのデザインなのか。
なぜこのサイズなのか。
なぜこの状態が評価されるのか。
こういった背景を知らない状態だと、ただ古い時計にしか見えないこともあります。
そのため、若い頃の「分かりやすい良さ」で判断している段階では、ヴィンテージウォッチに強く惹かれないのは、ある意味自然なことだと思います。
ただ、この判断基準は、経験や時間とともに少しずつ変わっていきます。
そしてその変化が、ヴィンテージウォッチの見え方を大きく変えていくことになります。
ここについては、次でお話ししていきます。
「分かりやすい良さ」から「分かりにくい良さ」へ変わる
ここから少しずつ、時計の見え方が変わっていく理由についてお話ししていきます。
若い頃に重視していた「分かりやすい良さ」は、経験を重ねるにつれて少しずつ変化していきます。
例えば、新しいかどうか。
傷がないかどうか。
性能が高いかどうか。
こういった基準はもちろん大切ですが、それだけでは物足りなく感じる瞬間が出てきます。
そのときに初めて、「分かりにくい良さ」に目が向くようになります。
たとえば、少し使い込まれた風合い。
新品にはない柔らかい雰囲気。
過度に主張しないデザインの美しさ。
こういった要素は、一見すると地味に見えますが、長く見ているほどにじわじわと良さが伝わってきます。
ヴィンテージウォッチの魅力は、まさにこの「分かりにくい良さ」にあります。
見た瞬間に強く惹かれるというよりも、時間をかけて理解していく中で、少しずつ魅力が深まっていく存在です。
そして、この変化は時計だけに限った話ではなく、洋服や家具、建築など、他の分野でも共通して起こるものだと思います。
経験が増えることで、物を見る視点が増え、単純な新しさや分かりやすさだけではなく、その奥にある価値に気づけるようになる。
その結果として、ヴィンテージウォッチが自然と良く見えてくるのだと思います。
では次に怪しいおじさんになりたくない心理が働く!と言う事について解説して参ります。
怪しいおじさんになりたくない心理が働く
今日の動画で、1番重要な話なので、ここのパートだけはちゃんと聞いてください。
経験が増えることで、私たちはいろんなことを学びます。
例えば、どういった人がどういった腕時計をつけているのかという特徴も、なんとなくわかってくるようになります。
まず前提として、新品の腕時計を着用していても綺麗にまとめてある方もたくさんいらっしゃるし、そう言った方は実際にとてもかっこいい方ばかりです。
ですが、怪しいおじさんのイメージもセットになっているので、怪しいおじさんに分類されない人は、新品の腕時計を着用してる事によって、風評被害を受けていると考えていいでしょう。
では簡単に怪しいおじさん(略してあやおじ)ポケットモンスター略してポケモンみたいな覚え方をして頂ければと思います。
と言うわけで、まずは怪おじの定義を解説します。
私の中での初代『怪おじ』はヨザーウイングさんです。
私は今36歳ですが、私と同じくらいの方やもっと上の方はこれだけでなんとなく分かって頂けると思います。
若い方は知らない人も多いかもしれませんので、現在進行形だとリアルバリューメンバーをイメージして頂けると分かりやすいと思います。
なんかTOKIO元メンバーみたいなニュアンスになってしまいましたが、同じようなもんなのでこれはこれでいいでしょう。
要するに、大枠としてはロールスロイスに乗っています。(これは撮影の時だけレンタルでいいです)
タワマンの最上階に住んでいます。(これもその時だけレンタルで借りればいいです)
ロレックスのギンギラ腕時計をしています。(これもトケマッチでレンタルでいいです)
これが怪おじセットです。
なんかハッピーセットみたいになりましたが、怪おじセットも覚えておいて損はないでしょう。
ではなぜ怪おじはこれらのセットを好むのか?
なぜなら、前述した通りこれらは分かりやすいからです。
俺みたいになりたいか?
それなら、サナエトークンを買えばいいだけだよ。
これはサナエトークンでもなんでもいいんですが、要するに、何も考えず苦労もせず、お金持ちになりたい!って思わせることが大事なんです。
要するに、若い方の分かりやすいにピッタリマッチしますし、若くなくてもサナエトークン大好き層にはしっかり響いてくれます。
超大型怪おじ、15m級、10m級など怪おじにも大小あれど、基本的には本物ではないので、どれだけ良いものを身につけていても、より怪しさが際立ってしまいます。
怪おじが新品のギラギラロレックスを着用していることで、実際の当人は全然そう言うわけじゃないのに、それらと一緒にされてしまうのが凄く嫌に気持ちになってしまいます。
若い頃は、怪おじに憧れてたのに、大人になってその人たちが誰に向けて何をやっているのかが分かった途端、同類として見られたくない。
と言う心理が働きます。
よって、歳をとるとそう言ったギンギラロレックスではなく、落ち着いたヴィンテージウォッチを手にしたくなる気持ちが強くなるんですね。
ここで補足説明ですが、怪おじ達がああやってキャピってるのを見るのはエンタメとして、とても楽しいです。
それまで仲間みたいな雰囲気出してたけど、いきなり俺は言わされただけなんだ!って言って逆ギレして、裏切ったりするのもお金でしか繋がることが出来ない怪おじらしくて良いなぁ。って思うんですよね。
次は、新しさではなく「時間が生んだ価値」についてお話ししていきます。
新しさではなく「時間が生んだ価値」に目が向く
ここまでで、新品の分かりやすい良さに対して、少し距離を置いて見るようになる、という話をしてきました。
そこからもう一歩進むと、今度は“新しいかどうか”ではなく、“どういう時間を経てきたか”に目が向くようになります。
新品の時計は、言ってしまえば完成された状態です。
誰の手にも渡っておらず、傷もなく、工場を出た瞬間の美しさをそのまま保っています。
それは非常に価値のあることですし、完成度の高さという意味では、疑いようのない魅力があります。
ただ、その一方で、そこにはまだ「時間」という要素が乗っていません。
使われてきた痕跡もなく、経年による変化もない。
つまり、完成はしているけれど、まだ何も積み重なっていない状態でもあります。
一方でヴィンテージウォッチは、何十年という時間を経て、今ここに残っている存在です。
その間にどんな環境に置かれてきたのか、どんな人が使ってきたのか、すべてを知ることはできません。
ただ、それでもなお動き続け、形を保ち、今も手に取ることができるという事実そのものに、価値があります。
さらに、経年によって生まれる微妙な色の変化や、表面の質感の変化は、新品では決して再現できないものです。
同じモデルであっても、ひとつとして同じ表情のものはありません。
この「時間が作り出した個体差」に面白さを感じるようになると、時計の見方は大きく変わっていきます。
単に新しいかどうかではなく、どんな時間を積み重ねてきたのか。
そこに目が向いたとき、ヴィンテージウォッチは一気に魅力的な存在として立ち上がってきます。
完璧さよりも「不完全さ」を受け入れられるようになる
ヴィンテージウォッチが良く見えてくる理由として、もうひとつ大きいのが、「完璧であること」に対する価値観の変化だと思います。
若い頃は、どうしても傷がないことや、状態が完璧であることに価値を感じやすいです。
新品で、ピカピカで、どこにも欠点がないもの。
そういったものは分かりやすく良いと感じられますし、安心感もあります。
ただ、年齢を重ねていくと、そういった“完璧さ”が少しだけ単調に感じる瞬間が出てきます。
これは自分も含めてだと思うんですが、酸も甘いも経験する事によって、表層だけの魅力ではなく、その下にある見えない部分に価値が出てきます。
例えば、冬のオリンピックでメダルを取れなかった選手は光は当たらないけど、あそこに立ってるだけで凄いことなのは分かるし、どんだけ毎日しんどいことしてるんだろうか。
と言ったその先までイメージできるようになります。
私も含め基本的には光に当たらない側だからこそ、こんな気持ちなんじゃないかなぁ。ってのを察することが出来るようになります。
歳をとるの連れて、そう言った感情がものの見方を買えてくるんだと思います。
新品はどれも同じように綺麗で、同じように整っている。
それは完成されている反面、どこか自分の人生観とは違うようにも感じられます。
一方でヴィンテージウォッチには、小さな傷や、わずかな色の変化、経年によるクセのようなものが必ずあります。
最初はそれをマイナスに感じることもありますが、見慣れてくると、それがその個体だけの表情として見えてきます。
完全ではないからこそ、その時計にしかない空気が生まれている。
人間も同じで甘いだけじゃなく、9割酸の人生を過ごしてきた中で、人に優しくなれるし、何が良いものかを理解できるようになるし、その不完全なヴィンテージウォッチを自分に重ねて愛することが出来るようになるんだと思いますね。
この感覚が分かってくると、むしろ何もかも整いすぎているものよりも、少し不完全なものの方に魅力を感じるようになります。
そして、この「余白を受け入れられる感覚」は、時計だけではなく、服や空間、さらには人に対しても共通していくものだと思います。
完璧さを求める段階から、少し崩れた部分や、均一ではない部分に価値を見出す段階へ。
その変化の中で、ヴィンテージウォッチはより自然に、自分の中に馴染んでくる存在になります。
スペックではなく「意味や背景」で見るようになる
ここまでお話ししてきた変化が積み重なってくると、最終的には時計の見方そのものが大きく変わってきます。
それが、「スペック」ではなく「意味や背景」で見るようになる、という変化です。
若い頃はどうしても、分かりやすい基準で判断しがちです。
精度がどれくらいか。
防水性能はどうか。
素材は何か。
主張してくれるか。
こういったスペックは比較しやすく、優劣もはっきりしているので、「良い時計」を判断する基準として使いやすいです。
ただ、ある程度経験を重ねていくと、それだけでは時計を選ぶ理由として弱く感じるようになります。
精度だけで言えばクォーツの方が優れていますし、防水性や耐久性も現代の時計の方が高い場合がほとんどです。
それでもなお、機械式のヴィンテージウォッチに惹かれるのは、そこに別の価値を見出しているからだと思います。
たとえば、その時計が作られた時代背景。
なぜそのデザインになったのかという理由。
どのブランドが、どんな思想で作っていたのか。
そういった情報を知ることで、単なる“モノ”だった時計が、意味を持った存在に変わっていきます。
そして一度その視点を持つと、同じ時計でもまったく違って見えるようになります。
スペックでは測れない部分に価値を感じるようになったとき、ヴィンテージウォッチは単なる古い時計ではなく、「時間や背景を身につけるもの」として、自然に魅力的に見えてくるのだと思います。
歳を重ねるとヴィンテージウォッチが良く見えてくるのは、単に好みが変わったからではなく、物の見方そのものが変わってくるからだと思います。
若い頃は、新しさや分かりやすい高級感に惹かれやすいですが、年齢を重ねると、時間が生んだ価値や、個体ごとの表情、不完全さの中にある魅力に目が向くようになります。
また、どんな時計を身につけたいかは、どんなふうに見られたいかとも繋がっています。
だからこそ、強く光る新品よりも、静かに魅力を持つヴィンテージウォッチの方が、自然としっくりくるようになるのだと思います。